さらなる世界進出
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「A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ」の記事における「さらなる世界進出」の解説
二ヵ月半後、ニューヨークに戻ったプラブパーダは心臓に痛みを感じた。彼は一人のアメリカ人弟子を伴い、インドのヴリンダーヴァンに一時帰国した。この時すでにニューヨークとサンフランシスコに寺院が建ち、モントリオールやロサンゼルスでの開設も控えていた。異国での布教を成功させたプラブパーダはインドでの名声も高めることになった。1968年にアメリカに戻ったプラブパーダは教典の翻訳作業に加え、弟子たちの育成に励んだ。弟子たちは世界各地に渡り、そこに寺院を設けた。プラブパーダも寺院のある場所を訪れるよう心がけた。1969年9月にロンドンを訪れた際には、インド風の服装をしたクリシュナ意識国際協会メンバーの姿と併せて話題となり、マスコミでも大きく取り上げられた。プラブパーダは12月にアメリカに戻った。僅か3ヶ月の滞在ながら反響は大きく、ヨーロッパの人々にも影響を与えた。 ボストンの寺院が開かれた後、ロサンゼルスにも寺院が建った。ロサンゼルス寺院は、クリシュナ意識国際協会が土地も所有するはじめての寺院であった。devoteesが共同生活するコミュニティもここに建てられ、ロサンゼルス寺院はクリシュナ意識国際協会の本部となった。この本部を拠点に世界各地に寺院が建てられた。
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