さらなる作風の変化
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1980年代には作風が変化し、1982年(昭和57年)に刊行したアルチュール・ランボーの詩集『酔いどれ船』の詩画集においてメゾチントを用いた作品を発表する。メゾチントはベルソーを用いて版全体に傷をつけ、溝にインクを詰めて独特の質感の黒の階調を表現する手法で労力を要するが、深沢は1981年に独自に電動ベルソーを開発し、大型のメゾチント作品の制作を可能にした。また、深沢はメゾチント作品に多版多色刷りによる色彩を加えた作品を制作している。 深沢は銅版画以外にも陶芸や書、書とパステル画を組み合わせた作品やガラス絵なども手がけている。中学時代に朝鮮の陶磁器工房を訪れ、手仕事に関心を持ったという。 1981年(昭和56年)には『深沢幸雄銅版画全作品集』が刊行され、1991年(平成3年)には郷里の山梨県立美術館で回顧展が開催された。1986年(昭和61年)には多摩美術大学の教授に就任し、1995年(平成7年)まで教授職にあった。多摩美術大学のほかには福岡学芸大学(非常勤講師)や武蔵野美術学園(非常勤講師)でも教鞭をとっている。 1987年(昭和62年)には紫綬褒章を受章し、1991年(平成3年)から1994年には日本版画協会の理事長の座にあった。1992年(平成4年)には山梨県文化功労賞を受賞し、1995年(平成7年)には勲四等旭日小綬章を受章し、2002年(平成14年)には日本版画協会名誉会員に推挙される。2013年(平成25年)には、阿部出版の雑誌「版画芸術」での連載を基にした『現代版画の視点―深澤幸雄の版画対談』が刊行された。 1991年には山梨県立美術館で「深沢幸雄展 銅板に刻む魅惑の詩」が開催される。 2006年(平成18年)には版画やガラス絵、書画、パステル画、陶磁器、民族衣装などコレクション含めた約400点の作品を、山梨県南アルプス市の春仙美術館に寄贈する。2007年1月13日から3月25日には、同館で「深沢幸雄の全貌」展が開催された。2007年(平成19年)には市原市水と彫刻の丘でも「深沢幸雄展」が開催された。 同じく、2007年(平成19年)には深沢の銅版画690点を中心に、深沢の収集した他の銅版画家の作品や中南米の民俗資料など1800点が山梨県立美術館に寄贈され、同年10月27日から12月9日には同館において、このうち160点あまりの深沢作品とコレクションを紹介した企画展「深沢幸雄展-いのちの根源を謳う-」が開催された。2014年(平成26年)1月18日から3月2日には千葉県市原市の市原湖畔美術館(旧市原市水と彫刻の丘)において「深沢幸雄-銅版が奏でる詩-」が開催された。 2017年1月2日、老衰のため死去。92歳。
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