アデナウアー首相就任とは? わかりやすく解説

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アデナウアー首相就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:43 UTC 版)

ヴィリー・ブラント」の記事における「アデナウアー首相就任」の解説

東西冷戦のさなか、戦後ドイツでは東西ドイツ分裂して1949年5月建国した西ドイツは、同年8月14日最初連邦議会選挙行い社会民主党(SPD)は得票率では693票(29.2%)・131議席得て第1党となったもののキリスト教民主同盟(CDU)はバイエルン姉妹党であるキリスト教社会同盟(CSU)と合せて736票(31%)・139議席取った。そして11.9%・52議席自由民主党(FDP)と4%・17議席ドイツ党連立組み9月15日ボン開かれた第1回連邦議会での首相選出投票社会民主党クルト・シューマッハー党首僅差破ってコンラート・アデナウアードイツ連邦共和国初代首相となった。そしてアデナウアー首相辞任する1963年まで一貫して西ドイツ西側諸国との連携目指した。 キリスト教社会同盟(CSU)は戦前バイエルン国民党発し戦後バイエルン州地域政党として誕生した政党で、キリスト教民主同盟(CDU)とは組織的には別々の政党だが議会においては統一行動をとるため、CDU/CSUと表記されている。このCDU/CSU連合第2回連邦議会選挙以降概ね40%台の支持得て自由民主党(FDP)などとの連立内閣組織し1969〜1982年及び19982005年社会民主党政権時代除いて長期渡って政権担当した1950年6月朝鮮戦争勃発アメリカ東西緊張高まったヨーロッパの状況から、英仏とともに西ドイツ再軍備させて東側陣営対峙させることを狙い欧州防衛共同体設立提案したアデナウアー首相ドイツ分断固定化されるリスクがあることを認識しながらも他の西側諸国との対等な立場目指し参加意思表明した。この防衛共同体構想フランス議会での条約批准失敗したため頓挫したが、西側との協調路線で特にフランス緊密な関係を築き経済政策社会政策分野でもかなりの成果挙げた1952年に、欧州石炭鉄鋼共同体加盟し西ヨーロッパ限定した欧州統合動き対応してやがて欧州経済共同体条約欧州原子力共同体条約調印し西欧経済統合加速して西ドイツ経済の復興促進させた。一方で軍事面では1955年北大西洋条約機構(NATO)に加盟して同時に西ドイツ主権制約していた占領規約解消され主権国家としての地位がほぼ回復した東西冷戦西ドイツ西側軍事同盟参加することで、主権回復再軍備を果たすことになった。そしてアデナウアー西側共同体一部として、やがて米ソ間の緊張緩和達成されヨーロッパ再統合通してドイツの再統一が可能となると考えていた。故に1952年3月ソ連スターリン首相からの「ドイツ再統一し、中立化非武装化非ナチ化して全ての占領軍撤退する」との提案一蹴した

※この「アデナウアー首相就任」の解説は、「ヴィリー・ブラント」の解説の一部です。
「アデナウアー首相就任」を含む「ヴィリー・ブラント」の記事については、「ヴィリー・ブラント」の概要を参照ください。

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