アストロズの監督、コーチ
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「ペナントレース やまだたいちの奇蹟」の記事における「アストロズの監督、コーチ」の解説
三原脩(みはら おさむ)背番号60 右投げ右打ち アストロズの監督。42歳。妻と息子と娘がいる。現役時代はやる気の無い選手たちの中、ただ一人無謀とも言える闘志あふれるプレーで「火の玉男」と呼ばれた。スタンドで試合を観戦していた幼い山田兄弟の目の前でホームラン性の打球をもぎ捕って強烈な印象を与えた。試合後、山田兄弟にサインをねだられた際、三人でアストロズの黄金時代を作ろうと言った(ここから、たいちの「アストロズに入って黄金時代を築く」という夢は始まった)。 34歳の時、ホームスチールの際にアキレス腱断裂で入院。引退を覚悟したが、入院中に毎日のようにやってくる山田兄弟との再会で気力を取り戻す。けがからの復帰後は打点王のタイトルを獲得、カムバック賞を受賞した。 4年前に現役を引退したが、山田兄弟のアストロズ入団を機に現役復帰を決意。自らを選手兼監督として登録していた。シーズン中、負傷の八木沼に替わり代打として登場、4年ぶりにヒットを放つという電撃復帰を果たした。さらにシーズン最終戦でも出場し、リーグ優勝を決める代打逆転サヨナラ2点タイムリーヒットを放っている。 本来なら4番タイプの二階堂を1番に固定したり、太一を投手、泰二を捕手として起用するなど、常識にとらわれない自由自在の采配を行う。 シーズン成績(1.000 0本 2点) 矢島英治(やじま えいじ)背番号5 右投げ右打ち 心臓に持病を持ち、入団以来6年間ずっと本気を出さずに一軍レギュラーだった外野手。家族はいない。ポジションはセンター。阪神の投手・相原とは同じ高校出身。甲子園で活躍した後、一時は持病のこともあってプロ入りを断念していたが、彼ほどの野球センスなら本気を出さなくても二十年は現役でいられるチームであるアストロズに指名されたためプロ入りする。 たいちに感化され全力を尽くし(矢島曰く本気を出していなかった自分は「病気だった」と評し、公式戦最後の出場となった試合中、太一に顔色の悪さを指摘された時には「俺は去年までが病気で、それが今年は治ったんだ」と言っている)、別人のような大活躍を見せるがシーズン序盤の阪神戦でプレー中に倒れ、選手生命を絶たれた。現役復帰はできないが、本気を出さず二十年現役生活を続けるよりも大切なものをもらったと太一に感謝している。三原の計らいによってシーズン終了まで一軍選手登録は外されていない。 現役最後の打席直前、たいちと一緒にアストロズの黄金時代を築くという約束を交わし、極度の打撃不振に陥ったたいちを救うために打撃コーチ(選手兼任)という形で復帰する。たいちは不振脱出のヒントをくれた矢島に絶対の尊敬と信頼をおいている。 物静かで、ややニヒルな印象を与える表情の持ち主。時々病院を抜け出して不振のたいちの様子を見たり、再び病状を悪化させて入院するまでたいちの特訓に付きっきりだったり、手術後で絶対安静でも病院を脱走してタクシーでシーズン最終戦に駆けつけたりと、文字通り野球に命を懸けている。 シーズン成績(.636 3本 21点) 大友(おおとも) 背番号76 アストロズの1軍投手コーチ。何かある度にオロオロし、頼り無さそうな印象を受けているが、コーチとしての手腕は高いようで、三原監督からの信頼は厚い。
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