神坂峠遺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 神坂峠遺跡の意味・解説 

神坂峠遺跡

名称: 神坂峠遺跡
ふりがな みさかとうげいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 下伊那郡阿智村
管理団体 阿智村(昭572・26)
指定年月日 1981.09.04(昭和56.09.04)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-12-029[[神坂峠遺跡]みさかとうげいせき].txt: 東西伊那谷木曽谷挾まれ南北木曽山脈恵那山神坂山に挾まれ神坂峠標高1595メートル)は、信濃美濃の国にあって古く信濃坂とも呼ばれ美濃から信濃経て、[[上野]こうづけ]・[[下野]しもつけ]に至る古東山道要所であった『日本書紀』日本武尊通行記事や、『続日本紀』大宝2年702)の「岐山道開通記事は、この峠と関連をもつものと考えられており、また延喜官道東山道)もこの峠を越えた考えられている。
 考古学的知見としては、大正10年鳥居龍蔵氏が峠越え踏査試み須恵器破片散布発見したのが最も古いものであるが、戦後昭和26年には、大場磐雄博士が峠の頂上付近発掘し石製模造品土師類・須恵器等の出土品得ている。さらに昭和42年および43年には、阿智村によって調査が行われた。その結果祭祀関係遺物総数1,300点余に達し、また調査地区中央西寄り部分で、径約4メートル、高さ0.7メートル積石塚遺構発見されている。
 出土品主体は、剣形・鏡形・有孔円板・[[刀子]とうす]形・斧形・鎌形馬形・[[勾玉]まがだま]・[[管玉]くだだま]・[[棗玉]なつめだま]・臼玉等の石製模造品と、碧玉製管玉・ガラス小玉等の玉類であり、量的にこれに次ぐものとして、5世紀末から奈良・平安時代須恵器平安時代の[[緑釉]りょくゆう]陶器や[[灰釉]はいゆう]陶器があり、他に少数ながら、鉄製品の刀子・[[〓(*1)]やりがんな]・[[鏃]やじり]・斧等と、獣首鏡破片中世陶磁器片が発見されている。これらの出土品は、この峠を越える旅人が、峠の神に長途の旅の平安祈って、それらを[[幣]ぬき]として樹枝掛け、あるいは石の上において供えたものであろう積石塚周辺部に特に遺物集中するのは、この積石塚自体が、峠神祭祀における手向けの場としての役割をもつものであったことを示すのかもしれない
 神坂峠遺跡は、古墳時代中期以降石製模造品主体とする峠神祭祀の場となり、また、奈良・平安時代以降は、東海地方須恵器緑釉陶器灰釉陶器搬入路として、これらの陶器類を主とする神祭祀の場となった全国的に数少ないこの種の遺跡中にあって、神坂峠遺跡は、古墳時代から古代中世に及ぶ峠神祭祀の実態をうかがうことのできる代表的な遺跡として重要なのである



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「神坂峠遺跡」の関連用語

1
10% |||||

2
4% |||||

神坂峠遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



神坂峠遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS