志布志城跡とは? わかりやすく解説

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志布志城跡

名称: 志布志城跡
ふりがな しぶしじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 鹿児島県
市区町村 志布志市
管理団体
指定年月日 2005.07.14(平成17.07.14)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 志布志城跡は鹿児島県東部志布志湾北側前川河口に近いシラス台地上に展開する大規模な山城である。大隅日向南部地方では中世肝付氏島津氏伊東氏等が割拠し志布志城はその拠点城郭として重要な位置占めていた。天正5年(1577)に薩摩大隅統一した島津氏志布志地頭を置き、豊臣秀吉による九州平定経て慶長年間にはその役割終えたが、城下には引き続き麓集落置かれた。
志布志城跡は近接して存在する箇所城郭総称である。東から内城跡・松尾城跡・高城跡・新城跡となり、中心となるのは規模構造から見て内城跡であり、いずれも標高は50m程である。内城跡は東側中世以来港として利用されていた前川流れ西側沢目馬場称される南北道路隔てて松尾城跡と対峙する。この南北道路前川沿いの道路面して多く近世の武家屋敷連続しており、その庭園遺構地割は現在も市街地中に良く残されている。
志布志町教育委員会では15・16年度に内容確認のための発掘調査実施した内城跡は北東から南西延び台地尾根南端立地する南北500m東西250mの規模で、北端東西大規模な空堀遮断し、さらに6箇所大きな郭を空堀区切りながら並べる。これらの東側には空堀土塁東側下にも多数の郭群を設け西側平行して大規模な空堀土塁切岸設けられ厳重に防御されている。主要な郭はさらに二つ分かれ土塁伴い明瞭な虎口確認できるものもある。
松尾城跡は南北延び尾根南端立地する南北300mで、東西最大200mほどあるが、南に向かって先細る。北端空堀遮断する。郭は北端のものを除くと小規模である。
高城跡は松尾城西側に谷を隔てて立地する自然地形の谷により南北大きく分けられる北側の郭は東西及び南北が約150m西側空堀で切り、さらに中央大きな空堀東西分けていたと思われる南側の郭は東西150m南北約250mで西側大きな空堀を介して新城跡となる。郭西側土塁がある。
新城跡は東西及び南北とも約250mで東側北側空堀遮断する中学校建設により、北西部は旧状をとどめていない。
出土遺物中国産の青磁白磁染付タイ陶器国産では備前焼中心にして土師器確認される。これらはおおよそ14世紀から16世紀のものであり、それぞれの城郭には大きな時期差は見られず、おおむね併存していたと考えられる終末16世紀中葉から後半にあり、島津氏統一以降はあまり使われなくなった推定される
このように志布志城跡は南九州太平洋交通の要衝の地に位置し4つの城からなる大隅日向南部地方拠点城郭であり、広大な城域城下武家屋敷含めて景観とともに良く保存されている。
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