志摩加茂五郷の盆祭行事とは? わかりやすく解説

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志摩加茂五郷の盆祭行事

名称: 志摩加茂五郷の盆祭行事
ふりがな しまかもごごうのぼんまつりぎょうじ
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 松尾地下河内地下
指定年月日 1987.12.28(昭和62.12.28)
都道府県(列記): 三重県
市区町村(列記): 鳥羽市松尾町鳥羽市河内町
代表都道府県 三重県
備考 8月1415日
解説文: 我が国では、盆は正月ならんで生活の重要な折り目とされ、その際行われる行事は、精霊祖霊)を迎え祭り、送るという趣旨濃く伝承されている。しかし、一面では地区挙げて盆行事には、社会状況変化に伴い形骸化したり消滅したしたもの少なくない
 この盆行事は、八月十四日のネンブツイレ(念仏入。大念仏ともいう)と十五日のヒバシラマツリ(火柱祭。岡霊祭ともいう)からなる。ともに、夕刻以降に、若者組中心となって行う。明治初年までは、加茂五郷(現船津町河内町岩倉町松尾町白木町)が共同でヒバシラマツリを行っていたと伝えられ松尾町河内町地区では寛政六(一七九四)年の記録にある旧習を現在に伝承してきている。両地区での盆祭行事には細部において若干の差はあるが、基本的に実態違い認められない
 十四日行事は、若者組が鉦・楽(太鼓)・羯鼓法螺貝横笛奏し、これに合わせて念仏」と称する踊り繰り返し町内主要な道筋一巡する。翌十五日のヒバシラマツリでは、若者頭指示従い若者中老・寄老が役割分担で諸準備整えた後、新盆迎えた家の墓前で「念仏」を繰り返しその後、場所を近く祭り場に移した後も一同が輪となって念仏」を繰り返す深夜になって祭り場に立てられた高さ十メートルほどの柱松点火する。この柱松は、茗荷みようが】のなどをない込んだ三本綱で支えられ、頂にしつらえられツボキ(壺受け)に百足旗・扇旗・兎旗が挿し込まれている。このツボキめがけて松明投げ上げ点火する慣例燃え落ちたところで行事が終わるが、柱松倒れ方によって吉凶を占うとも伝えられている。
 この盆祭行事には、この地域人々共同して一体となって伝統継承してきており、特に、ネンブツイレやヒバシラマツリには、新精霊供養し、祭るという祖霊信仰趣旨顕著である。行事運営公会【くがい】と称されてきた地域公的組織支えられ若者中老・寄老(耆老)による年齢階梯制に基づき厳格整然と実施されてきたことは、中部・近畿地方濃厚に分布する盆の柱松行事のうちでも類稀なものであり、我が国民の生活文化特色を示す盆行事典型例として重要である。



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