きき‐どころ【利(き)所】
きき‐どころ【聞(き)所/聴(き)所】
ききどころ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 03:52 UTC 版)
「ラ・ボエーム (プッチーニ)」の記事における「ききどころ」の解説
プッチーニはワーグナーのライトモティーフの手法を取り入れ、各登場人物の性格を表す動機を活用している。以下に取り上げる曲でもこの手法が有効に用いられるものがある。 ロドルフォのアリア「冷たい手を」"Che gelida manina" テノーレ・リリコの定番アリア。詩人ロドルフォの自己紹介である。「貧しいながらも詩作を通じて夢を求めている」と歌い、ミミに早くも心を奪われたと恋心を打ち明ける。 ミミのアリア「私の名はミミ」"Sì, mi chiamano Mimì" これもソプラノ・リリコの代表的なアリア。「皆は私のことをミミと呼ぶけれど、本名はルチア。お針子をしていて、教会には余り行かないがいつも神様に祈っています。私の部屋は(屋根裏部屋なので)春の太陽を最初に見られるの」と語る。 ロドルフォとミミの二重唱「愛らしい乙女よ」"O soave fanciulla" ムゼッタのワルツ「私が街をあるけば」 "Quando me'n vo soletta per la via" ソプラノのコケティッシュな唄で、『カルメン』の歌う「ハバネラ」と同趣向の性格である。 ミミとマルチェッロの二重唱「助けてマルチェッロ」 "O buon Marcello, aiuto!" ミミのアリア「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」 "Donde lieta uscì al tuo grido d'amore" プッチーニのアリアは、しばしば語るような平坦な調子で始まる。この曲も最初の事務連絡的な部分から、「思い出の品を持っていて欲しい」と願って歌うミミの本心が現れた部分に掛けて、徐々に高まる感情を音楽が忠実に描く。そして最後に、本当は別れたくない思いを振りきるようにして、再び別れの言葉を歌って曲を終わる。非常に効果的な構成であり、この曲もしばしば単独でリサイタルの曲目にあがる。 ロドルフォとミミ、マルチェッロとムゼッタ「さらば甘い目覚めよ」 "Addio, dolce svegliare alla mattina!" 互いをいたわり合い、心ならずも別れる2人と、ものの弾みで言い争った挙句喧嘩別れしてしまう2人の、2組の恋人達の対比が印象的な曲である。原曲は1888年に自作の詩に作曲した歌曲「太陽と愛(朝の歌)」"Sole e amore(Mattinata)”である(原曲についてはこちらを参照)。 ロドルフォとマルチェッロ「ああミミ、君はもう戻ってこない」 "O Mimì, tu più non torni" コッリーネ「古い外套よ」 "Vecchia zimarra" 深刻なこの場面で、いくら貧乏でも外套に別れを告げるというのは一見場違いな印象も受ける。しかし、悲しみに満ちたこの歌は、詩人や画家ならぬ思索家としてのコッリーネが心からの思いやりを不器用かつ真面目に表明したと解すべきであろう。この歌の後奏は最後に再び登場してこのオペラ全体を締めくくる。 ミミ「みんな行ってしまったのね」 "Sono andati?" ~ロドルフォ「ああ、僕のミミ」 "Ah, Mimì, mia bella Mimì!" ミミは、2人きりになれるように眠った振りをしていたと言い、とても大事な事を伝えたい、それは大海より大きく深いもの:心からあなたを愛している!」と歌う。ロドルフォは感激してミミの美しさを称えると、ミミは「私の名はミミ」と初めて出会ったときのことを口にし、ふたりは幸福だったそのころを懐かしんで言葉を交わす。 ムゼッタの祈り 前2幕で享楽的な性格として描かれているムゼッタは、ここでは死を目前にしたミミを前に「たとえ私が許されなくとも、どうか彼女は天に召してください」と献身的に祈る。 このあと、ミミがひそかに息を引き取る場面ではホルンが低く吹き鳴らされるが、プッチーニは楽譜のこの場面にミミの死を象徴する髑髏の絵を書きつつ、かわいそうなミミと語ったという。
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