原曲について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/31 14:00 UTC 版)
「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」の記事における「原曲について」の解説
この曲が作曲された経緯については、以下のような説がある。 1877年に『白鳥の湖』がモスクワで初演された際、オデット役の初演者だったペラゲーヤ・カルパコワ(Pelageya Karpakova)の役を引き継いだアンナ・ソベシチャンスカヤ(Anna O.Sobeschanskaya、またはAnna Sobeshchanskaya、1842年 - 1918年)は、3幕でパ・ド・ドゥを踊りたいと希望していた。彼女は『白鳥の湖』の初演を担当したユリウス・ライジンガー(en:Julius Reisinger)の振付を嫌って、当時サンクトペテルブルクにいたマリウス・プティパに自分のためのパ・ド・ドゥ振付を依頼した。プティパはソベシチャンスカヤの依頼に応じ、レオン・ミンクス作曲のパ・ド・ドゥを振り付けた。 その話を聞いたチャイコフスキーは、すでに『白鳥の湖』で多くの曲が削除されたり、他人の曲とすげ替えられたりしていたのにもかかわらず、このパ・ド・ドゥの追加に反対した。最終的には両者が歩み寄り、チャイコフスキーはミンクスが書いた楽譜を受け取ると、ソベシチャンスカヤが振付を変えずに踊ることができるように曲を書き直した。ソベシチャンスカヤは大いに喜び、チャイコフスキーに新たにヴァリアシオンの作曲を依頼した。このときソベシチャンスカヤが依頼したヴァリアシオンの曲が、現在でも『白鳥の湖』で時折踊られる『ロシアの踊り』(ルースカヤ)といわれる。但し、このパ・ド・ドゥ及び『ロシアの踊り』については、ソベシチャンスカヤが依頼したものではないという説もある。 しかし、ミンクスがソベシチャンスカヤのために書いたというパ・ド・ドゥの楽譜などは発見されておらず、この曲自体がその時に書かれたチャイコフスキーの真作なのかについては、専門家の間でも意見が分かれている。
※この「原曲について」の解説は、「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」の解説の一部です。
「原曲について」を含む「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」の記事については、「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」の概要を参照ください。
原曲について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 14:49 UTC 版)
日本ではしばしば、「バケツの穴」の原曲を、アメリカ民謡「There's a Hole in My Bucket」であると紹介している。しかしながら、日本語版の直接の原曲は米国の「There's a Hole in My Bucket」に求められるとしても、この曲の発祥はアメリカ合衆国ではなく、ルーツをおそらくドイツに求められるものである[要出典]。またフランスにも、おそらく同じ源流と思われる同様の内容の民謡が現存する。 いずれの言語版でも、穴の開いたバケツに関する様々な問答が繰り返されるのだが、結局最後は「バケツに穴があるから水が汲めない」と元に戻ってしまうという、何ともユーモラスな歌詞の歌である。
※この「原曲について」の解説は、「バケツの穴」の解説の一部です。
「原曲について」を含む「バケツの穴」の記事については、「バケツの穴」の概要を参照ください。
- 原曲についてのページへのリンク