原曲「丸の内音頭」とは? わかりやすく解説

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原曲「丸の内音頭」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:05 UTC 版)

東京音頭」の記事における「原曲「丸の内音頭」」の解説

もともとは「丸の内音頭」という曲名1932年昭和7年)に制作され日比谷公園での盆踊り大会披露された。関東大震災壊滅した東京同年7月市町村合併人口530世界第2位都市になり、有楽町商店街旦那衆(日比谷松本楼小坂光雄、更科藤村源三郎、富可川の井上忠次郎、都亭の岩佐三郎並木平四郎)は不況吹き飛ばす景気づけとして、それまでなかった都会盆踊り企画しビクター音頭作成依頼した作詞西条八十作曲中山晋平手掛け、歌は日本橋葭町芸者だった藤本二三吉当時葭町二三吉)と、民謡歌手三島一声それぞれ吹き込んだ丸の内音頭会長となった更科藤村警視庁日比谷公園での盆踊り開催申請し同年8月15日から5日間行われた。揃い浴衣さえ用意すれば誰でも参加でき、同月18日には丸の内音頭ラジオ全国初披露された。永井荷風によると、その盆踊り大会美松百貨店広告であり、その百貨店浴衣購入しなければ参加できなかったという。歌詞には丸の内三宅坂数寄屋橋などの地名織り込まれている。作詞した西条は、「この音頭揃い手拭揃い浴衣ではじめて踊られたあの日比谷公園すずしい月の夜を、わたしは永く忘れないであろう」と述べている。 その後レコード会社が「隅田」「武蔵野」などを入れて東京一円のご当地ソングとして売り出したという。「丸の内音頭」のレコードビクターから発売されA面藤本二三吉B面三島一声によって歌われた。二三吉はこの曲を最後にコロムビア移籍した1975年1976年に、丸の内の祭である「グランマルシェ」の催し一つ取り入れられた。それ以後長らく行われていなかったが、日比谷公園開園100周年迎えた2003年以後毎年8月に「日比谷公園丸の内音頭盆踊り大会」が開催されている。地区年代によって様々だと言われているが、日比谷公園踊り方ルーツという可能性が高い。

※この「原曲「丸の内音頭」」の解説は、「東京音頭」の解説の一部です。
「原曲「丸の内音頭」」を含む「東京音頭」の記事については、「東京音頭」の概要を参照ください。

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