【2014〜2019年】
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「GRIFFIN」の記事における「【2014〜2019年】」の解説
グリフィン解散後、射延は、レゲエアーティストCASTAのアルバムに参加し、何度かライブも客演している。そして、満を持しての新バンド“Vanquish Sound Enterprise(VSE)”を始動。09年より6年間でアルバム5枚をリリースしている。「皮肉なもんで、ソングライティング力は数段上がってると自信持って言える。けど、それが反映され無いのが現実」以前、射延はそうもらした。その反面、「イヤー、相変わらず今が一番楽しい!」とも言っていた。 14年5月。大阪パンクシーンの立役者、グリフィンをサイドから支え、LRFやClampdownでもギターを担当したBLADE大洞一己が急逝。8月に追悼企画『TRUE FORCE 完結編』を大阪パンゲアで開催する。このイベントにグリフィンは「一夜限りの再結成」として出演。メンバーは射延、村本、矢島にギターは18年振りに江見が参加した。大洞とゆかりの深いLRF、Bull The Dougs、The Prisoner等も出演し、溢れんばかりの観客と共に故人を偲んだ。 「それなら一夜限りと言わずこちらでも演ってくれ」と声が上がりグリフィン単体の追加公演として広島で、年が明けて15年4月に東京は新宿ロフトで行われた。江見は追加公演には参加せず最初期のギタリスト大西真(ダブルボギーズ)が参加を表明。この4人でリユニオンという形を取り、グリフィンはスローペースながらライブ活動を再開させる。 そして16年3月。インディペンデントなバンドとしては異例の2作目のグリフィントリビュートアルバム『a tribute to The Griffin』がChaos&Anarchyより発売。Oi-Skall Mates、Abnormals、Anger Flares、The Prisoner等が参加。グリフィンは新宿ロフトでの発売記念イベントに出演。他にもアルバムに参加したバンド達がグリフィンの曲を披露した。 5月のライブの後、村本の個人的な理由により一旦ライブ活動はストップ。その間に「Yes,We're Lovely Lads」以来11年振りの新曲をレコーディング。12月にシングルCD「MARY BELL ON GLOOMY SUNDAY」をK'H'eye Productionから発売。歌の題材は60年代に起きたイギリスのシリアルキラー、メアリー・ベル事件で、すっかりビートルマニアになっていた射延はギターをテレキャスターからエピフォンカジノに持ち替えて録音。タイトルトラックの歌詞も「Let It Be」の一節をもじって流用している。 カップリング曲の「KNOW THE SCORE ~THE EXTREAM JET SCREAM」は、sir ポール マッカートニーの十八番、メドレー方式でのソングライティングにトライした意欲作だ。 翌17年、引き続き村本長期離脱の中、今度は1番リユニオンに積極的だった矢島が脳の病気を発症。絶対安静からの手術という長い休養を余儀なくされる。 結果矢島の手術は成功。約2年に渡るリハビリを終えた2019年。ホームグランド十三ファンダンゴが7月に移設するので、その前にファンダンゴで復帰ライブという青写真が矢島と射延の間でできていた。だが話を受けた村本は「もうやる気が起きない。1日くらいちゃっちゃっとやったらエエやん、とはならない。やる気の削がれた状態で演ったらグリフィンを穢す事になる。俺はできない。」と告げる。「如何なる場合でも村本抜きのグリフィンは正常に機能しない事に改めて気付かされた。村本こそグリフィンだった。」と射延は語り、もうグリフィンを終わらせようと決めた。 友人の追悼という思わぬ誤算でリユニオンし、純粋に再会と演奏を楽しんだグリフィンは、2019年6月21日ファンダンゴでのラスト企画“Bowing Out Of Coretic Rock Bout”をもって最後の最期を迎える。メンバーは射延、矢島、大西に加えベースに1999〜2000年にギターを務めていた佐々木隆が参加。かろうじてグリフィンの純血が保たれたメンバーでラスト公演を行う。
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