【2005〜2006年】
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「GRIFFIN」の記事における「【2005〜2006年】」の解説
05年、バンドはラストツアー用の無料配布CDをMCRカンパニーの協力のもと作成。古巣Sound Rattで2トラック録音された。“Yes,We're Lovely Lads”には女性コーラスの他にクラッシック・チャイムスのフィドル、エイジとアコーディオンのセツコが参加し、ラストツアーでもこのメンバーで披露された。奇しくも7人編成なので「ここに来てグリフィン7の再来か。」とメンバーは苦笑いしながらも楽しんだ。 ファイナルチャプター東京編は下北沢ERA、名古屋編は今池ハックフィン。両日とも満員御礼。新旧のファンが詰めかけ、演目は30曲、ステージは約2時間に及んだ。東京公演の途中で射延は「何が本物かなんてわかりません。売れたら本物で売れんかったら偽モンや。ただ、売れへんかってもほんまもんやったのが僕らなんですよ。」と言葉を残した。 一週間置いて4月23日。グリフィン最終章最後のライブが行われるこの日、十三ファンダンゴのウルフルズが持っていた最高動員記録が更新された(当時)。2年振りの矢島がやはり1番緊張していたようだ。射延曰く「20年以上の付き合いの中で初めて俺を出し抜いた」という村本の「ほないくで!」の一言でライブは始まる。ライブ中盤、クラッシュの「ハマースミス」で、射延はジョー・ストラマーに貰ったシャツを着て歌った。「よく終わりは始まりなんて言うけど、終わりは終わりや。そんな軽いもんじゃない。」とMCで語った射延の言葉に17年の苦闘の歴史が滲む。ラストの「Rockers Daylight」で大団円で終わったと思いきや、鳴り止まぬアンコールに応じて急遽初期のハードコアナンバーをプレイする直前、「タカシ!コード何やった⁈」と、慌てて確認した村本亮太のナチュラル感もグリフィンの魅力のひとつだと言えよう。「イヤイヤ、そんな魅力は要りませんよ。まぁ、グリフィンのメンバーでミュージシャンは江見洋之だけだったのは認めるよ(笑)」トータル4度のアンコールを含めて3時間以上、計37曲、大歓声の中グリフィンはステージを去った。 秋にはラスト3公演を編集した『Final Chapter』と03年に出した『The Video』をデジタル化した(どちらも特典映像付き)DVD2枚組ボックスセットが発売された。カメラマン奥村達也による、グリフィンラストデイを楽屋から終演後までシューティングされた豪華ブックレットも封入されている。 翌06年5月。射延が解散前にグリフィンBBSで執筆したバンドヒストリー手記と、前述の奥村によるスナップで構成されたフォトブック『Tough ain't Enough』(曲間にトークを交えた、マネートークス音源14曲入りCD付き)がスタジオワープより発売。 さらに同時進行で“葬れ!永遠に!”と、過去の音源がリマスターされた全40曲2枚組ベスト盤『Completed The Griffin』をリリース。 過去への惜別や情緒を一切拒否するかの如く曲間無しでミックスされ、新旧ごちゃ混ぜに曲が次々と畳み掛けられる様はグリフィンらしい作りと言える。
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