『法経』六篇と『九章律』とは? わかりやすく解説

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『法経』六篇と『九章律』(戦国時代と秦代・漢代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 10:30 UTC 版)

中国法制史」の記事における「『法経』六篇と『九章律』(戦国時代秦代漢代)」の解説

『晋書』刑法志(唐代648年編纂)には、戦国時代の魏の文侯のとき、実務掌握していた李悝諸国の法を選択編集し体系性をもつ刑罰法典始まりであるとされる法経』六篇を作った伝えられる財産人命身体対す侵害の罪を定める「盗法」と「賊法」、被疑者の逮捕拘留などの刑事手続に関する「囚法」と「捕法」、雑多な犯罪定める「雑法」、科刑上の諸原則総則である「具法」の6篇から構成される。また同じく『晋書』刑法志は、秦の宰相となった商鞅が『法経』を「律」と改称し受け継ぎ商鞅変法呼ばれる国政改革断行したことと、前202年前漢創設時蕭何が、秦の律に「事律」と総称される興律・厩律・戸律の3編を加えて九章律』と呼ばれることになる9篇の法を作った記している。 しかし『法経』と『九章律』の実在性には疑問もたれていた。前漢の『史記』(紀元前91年)、後漢『漢書』92年)には『法経編纂記載がなく、蕭何伝記である『史記相国世家には「九章」の語も3編の増加記事もない。『法経』がはじめて現れるのは『晋書』648年)である。けれども、戦国時代の秦の律を伝える『睡虎地秦簡』には、戦国時代の魏の法律含まれている。秦の律と魏の法律何らかの関係がある以上、『法経』の存在否定できないまた、睡虎地秦簡』は、戸口軍役租税徴収穀物管理など、行政に関する雑多な規定中心としている。蕭何加えた事律も、行政運用に関する規定主体であると見られている。前206年の秦の滅亡時に首都咸陽文書庫から、法令戸籍行政帳簿などを確保したとされる蕭何が、基本となる刑罰法規多数行政規定付け加えて法典にまとめ、これを前漢創設時発布した考えることも可能である。 前漢創設した劉邦は、秦を滅ぼしたとき、秦の厳しい法を廃止して法三章』を約束した。「墨家の法」の原則である「人を殺した者は死刑処する。人を傷つけた者は肉刑処する」と記されいたものに「その他の罪を犯した者は、軽重応じた刑に処する」という文言付け加え穏当な刑を定める法の制定約束したのである墨家は、劉邦時代広く流布していた。秦は魏の刑罰法典継承発展させるとともに詳細な行政規定立法進めており、前漢初期蕭何がそれを断片的にまとめ、さらに立法蓄積されて、漢の法が形成されたことは確かである。 秦や漢で法典形成されていたかは、法の全体像不明であるため分からない。しかし、『睡虎地秦簡』や前漢初期の『張家山漢墓竹簡』などの出土法制史料に含まれる行政文書法令は、高度な法律的思考産物であるといえ、その背後体系的な法律法典)が存在していたことは疑いない。

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