『法の書』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:46 UTC 版)
詳細は「法の書」を参照 クロウリーのセレマの体系は Liber AL vel Legis (エルもしくは法の書)という正式名称をもつ『法の書』に端を発する。それは新婚旅行で新妻ローズ・クロウリーと訪れたエジプトのカイロで書き留められた。この小さな本は3つの章で構成され、各章は1904年4月8日、9日、10日の正午から1時間の間に書かれた。クロウリーはアイワスという名の存在の声を筆記したと主張しており、彼は後にこの存在を彼自身の聖守護天使と同一視した。しかしダン・エバンスの分析では、ラブレーだけでなく、フローレンス・ファーが演じた「ハトホルの愛人と黄金の鷹の聖堂」にも類似点がある。 クロウリーは『法の書』の解説をいくつか書いており、最後に書かれたのは1925年である。「注記」と呼ばれるこの短い文章は、この書を研究したり内容を議論したりすることを戒め、「法に関するすべての質問は、わが著作への懇請によってのみ決定される」と述べ、アンク・アフ・ナ・コンスの署名がある。唯一知られているアンク・アフ・ナ・コンスの著作とは、啓示の碑板上に見られるものがそれである。
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