『全員集合』終了後
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『加トケン』終了後は単独でバラエティ番組に出演する傍ら、俳優としての活動も行い、主演ドラマ『パパと呼ばせて!』では映画『アパートの鍵貸します』でのジャック・レモンを彷彿させる独身の中年男を好演し、NHK総合テレビで放送の『武蔵坊弁慶』では、それまでのイメージを覆す非常にシリアスな役を演じた。また「加トちゃんBAND」「こぶ茶バンド」を率い、お笑いだけでなく、本来の持ち芸であるミュージシャンとしての活動も活発化させた。『はぐれ刑事純情派』では、鑑識官を演じた。 1987年11月に18歳年下の女性と結婚。その披露宴の模様は11月21日に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』内で録画中継され、芸能人の結婚披露宴中継では郷ひろみ、森進一、渡辺徹に次ぐ歴代4位となる36.3%の高視聴率を記録した。その妻とは2003年3月に熟年離婚をしたが、「病気療養中のいかりやに心配をかけないように」との心遣いから、離婚のことはいかりやの死後まで公表しなかったという。前妻との間には3人の子供がいる。 2004年、いかりやが死去したことに伴い、ドリフ最古参メンバーとなった。いかりやの葬儀の際には最古参メンバーということで、年長の高木ブーに代わって弔辞を読んだ。この中で、加藤は「これから俺たち4人で、ドリフターズ、やっていくよ。長さんが残した、財産だからね。(中略)あ、でもそっちからいきなり『全員集合』って言われても、俺たちすぐには行けないからね…」と語りかけた。 2006年10月30日、微熱と体のだるさが1か月以上続く体調不良により緊急入院。同年12月のこぶ茶バンド公演も出演中止が決まった。病名は"Stanford A型大動脈解離"だと本人が2006年12月26日の会見で発表、生還を果たしリハビリ中であることを語った。実際の会見では「Stanford A型大動脈解離」と言い間違えている。この際に彼を看病したのは、熟年離婚をした元妻であった。この手術の際の検査により、長年AB型だと思っていた血液型が実際にはA型であると判明した。仕事復帰は困難とも言われたが、わずか4か月で『鬼嫁日記 いい湯だな』に出演する形で復帰した。2008年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンランナーに内定していたが、「Stanford A型大動脈解離」の影響により辞退することとなった。 2011年3月1日、フジテレビ『カスペ!』枠で加藤の芸能生活50年を記念しての特別番組『ドリフ大爆笑!! 加藤茶芸能生活50周年』が放送された。 2011年、5年前にデビューした長女の文代(20歳)とほぼ同年代(長男と同い年)である23歳の女性と、68歳にして再婚したことが報じられた。入籍は6月23日で、45歳の年齢差(『スポーツ報知』2011年8月1日)。当時、妻の父親は37歳、母親は44歳だったという(『女性セブン』2011年8月18日号)。入籍当初は新妻がマスコミの前に登場することはなかったが、2012年3月1日に、埼玉県越谷市の結婚式場「ベルヴィ ギャザホール ザ・シーン」で行われた結婚式と披露宴で、初めて姿を見せた。以来、夫婦でテレビ出演することが増え、2012年12月には加藤綾菜の名で、自身がプロデュースするアクセサリー類の通販サイト『P.E(ピーイー)』を立ち上げている。 結婚当初妻は“財産目当て”などの冷ややかな野次を浴び続け、週刊誌などのバッシングを受けていたが、2019年10月10日放送分の『直撃!シンソウ坂上SP』では、パーキンソン症候群と戦う加藤のリハビリを支えるなどの献身ぶりが伝えられた。 2020年4月1日、前月29日に志村が2019新型コロナウイルス感染に伴う肺炎で急逝したことを受け、残されたドリフのメンバーと共にフジテレビの追悼特番に出演し、番組内で弔辞を述べることが報じられた。内容は、先に逝去したいかりやへの弔辞を彷彿とさせるものであった。加藤は弔辞の中で、「天国の長さんも、まさかお前が最初に来るなんて思ってなかっただろうなぁ。ビックリしたと思うよ。長さんの次は高木ブーだと思っていたもんな。」と早すぎる死に触れ、「5人がそっちに『全員集合』したら、そっちのお客さんを『大爆笑』させようぜ。約束だぞ」と語りかけ、「ゆっくりと休んでくれ。大好きな志村よ」と締めくくった。
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