妻とのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 12:22 UTC 版)
一般人だった(高木によると眼科の秘書だった)妻とは、知人が主催したダンスパーティーで知り合い、スラッとしたスタイルにモダンな雰囲気の彼女に一目惚れし交際を始める。彼女の実家は由緒ある家柄で、相手の母から不安定なバンドマンである高木との結婚を猛反対された。しかし相手の祖母の「職業に貴賤はないよ」の鶴の一声で許可が下り、1962年2月1日に高木28歳妻25歳で結婚し、2年後には一人娘が生まれた。妻は洋裁が得意で、高木の無名時代には、妻が内職をして家計を支えた。 高木は愛妻家として知られ、ドリフメンバーで、離婚も再婚もせず、また複数の女性と関係を持つこともなく、ただ一人の女性と添い遂げたのは高木だけである。 『全員集合』終了後、「少しは家族の時間を取り戻そう」と思った。それ以降、夫婦で毎朝6時に起きてペアのトレーナーを着て、自宅から近所の江戸川公園まで散歩し、ラジオ体操をして戻ってくるのが夫婦の日課となった。散歩中は夫にたわいない世間話ができることを嬉しく思い、高木は妻の話を聞くのが楽しかったとしている。それと同時に、今まで妻のこういう話を聞いてあげる時間がなかったことに改めて気づき悔やんだという。 また同時期に「妻を毎年ハワイに連れて行ってあげよう」と考えたことから、夫婦でのハワイ旅行が恒例となった。さらに1990年1月には豪華客船クイーン・エリザベス2世号で夫婦水入らずでディナーなどを楽しみ一泊した。高木はこの日のことを「夫婦の一番の思い出」としており、この時2人が写った写真を今でも大事にしている。 しかし、その最愛の妻を1994年に脳腫瘍で亡くした時の高木の悲嘆は激しく、高木は妻を助けてくれなかった神を一切信じることができなくなったとまで語っている(自伝:『第5の男 -どこにでもいる僕-』第7章より)。亡くなった直後病室で妻の遺体としばらくの間二人きりにしてもらったが、悲しみのあまり妻にかける言葉が出てこず、代わりに頭に浮かんだ堀内孝雄の歌『冗談じゃねえ』を泣きながら何度も何度も歌い続けたとのこと。
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