『全休庵楠系図』による伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 14:59 UTC 版)
伊勢楠木氏の伝承によれば、千子正真は楠木正成の嫡流伊勢楠木氏の生まれとされる(詳細は「伊勢楠木氏」「千子正重」を参照)。 初代正真(1457 - 永正8年春(1515年1-4月))は、伊勢楠木氏第3代当主である川俣正重(二代正重)の次男で、三代正重の弟。桑名の千子村に住んでいた。寿星丸と号し、また勘解由左衛門尉を名乗った。息子に二代正真と政盛。 二代正真(1473 – 大永二年(1522))は、初代正真の息子。薬王丸と号した。大和国に住み、のちに河内国に移った。 三代目以降は不明。 政盛は、初代正真の次男。藤左衛門を名乗った。初め大和国に住んでいたが、後に伊勢の雲林院に移った。 系図には正真親子についての鍛冶関係の記事がないが、正真のほか政盛も雲林院政盛として刀工になったことが、現在する刀の銘から確かめられる。
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