『ローマ人の歴史』とは? わかりやすく解説

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『ローマ人の歴史』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 07:30 UTC 版)

ヘロディアヌス」の記事における「『ローマ人の歴史』」の解説

ヘロディアヌス書き残した同時代史『ローマ人の歴史』は全8巻からなりマルクス・アウレリウス帝の晩年からゴルディアヌス3世帝の暗殺までを記述している。 ヘロディアヌス文献後世歴史学者から賛否分け資料となった最初にヘロディアヌスの『ローマ人の歴史』へ言及したのは東ローマ帝国神学者フォティオスで、彼は9世紀人物であったフォティオスヘロディアヌスを「彼は自らが見たものを率直に書き残した。そこに誇張見過ごしは何もなく、このような文献残せるものはそういないだろう」と賞賛している。また同じく東ローマ歴史家ゾシウスはヘロディアヌス重要な資料として使用している。1705年に『ローマ人の歴史』を初め英訳した学者前文ヘロディアヌス客観性賞賛する文章載せ古文書学フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフは「宗教偏見まったくない歴史書」とまで論じている。 しかしヘロディアヌス文献疑わしい部分があるのではないかという批判同等に存在した例えばアウグスト・ヴォルフはヘロディアヌス記述は、そもそも重要性欠けた内容が多いと指摘している。『ローマ皇帝群像』ヘロディアヌス文献一つにしているが、しばしば批判行っている。またゾシウスも第一文献としてヘロディアヌス選んだわけではなく、より優先度の高い文献別に選んでいる。同様にゾシウスと同じ東ローマ歴史家ヨハネス・ゾナラスもカッシウス・ディオの『ローマ史』による結論から離れるためにヘロディアヌス用いたに留まっている。 第2巻ヘロディアヌス彼の意見が「重要で決定的な事についてのみ書き残した」と主張されている。従って大きな出来事複数事件が、極めて短い文章で要約される場合も多い。例え213年214年行われたカラカラ帝遠征については、僅かに二つ引喩という形に省略されている。2年間にわたるマクシミヌス戦いについて簡単な記述要約されている。また何度も言及されているように地理的な知識について誤りが多い。例えばイッススの戦い説明で、イッススが「ダレイオス3世捕らえられた場所」という誤った記述残している。 ヘロディアヌスカッシウス・ディオ歴史書はともに欠点長所持っている政治的な議論記述については実際に元老院議員であったディオ専門性が勝ると考えられている。しかしヘロディアヌスセプティミウス・セウェルス即位時の民衆の反応について、カッシウス・ディオ記述偏っていると指摘している。より皇帝に近い地位にいた人物による記述だとしても、カッシウス・ディオ記述は必ずしもヘロディアヌス記述より絶対的に信頼性で勝るわけではない

※この「『ローマ人の歴史』」の解説は、「ヘロディアヌス」の解説の一部です。
「『ローマ人の歴史』」を含む「ヘロディアヌス」の記事については、「ヘロディアヌス」の概要を参照ください。

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