文筆業と公職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 07:30 UTC 版)
出自・生没年と同じく本業が何であったのかについても詳しい事実は分かっていない。ヘロディアヌス自身は「ローマ人の歴史」の冒頭に書かれている前文で「私の記述はアウレリウス帝の死から、私が実際に見聞きできた皇帝についての評伝である。私はこれらの皇帝の治世にある程度関わりを持つ事が出来た。」と公職を務めていたと述べている。この発言に加えて、元老院内での秘密協定であったプピエヌスとバルビヌスがマクシミヌス・トラクス帝に対する対立皇帝として推挙された事実を、評伝で記述している事から元老院議員であったと主張する論者もいる。しかしこの協定は複数の元老院議員によって暴露されたとも伝えられており、直ちに元老院に議席を持っていたと結論付けるのは短絡的と考えられている。 むしろ多くの論者はヘロディアヌスが解放奴隷の知識人、つまり皇帝の書記官や秘書だったのではないかと推測している。「ローマ人の歴史」の皇帝に対する評伝が宮殿や元老院での政治討議よりも、皇帝個人の振舞いや民衆の反応などに力点が置かれている事もこれを裏付けている。また皇帝の書記官ならば、必要に応じて元老院や皇帝の公文書を調べる事も難しくなかったと考えられる。
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