文簡本各種
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文簡本は、文繁本の流れや筋立てを重視し、余分な文飾を削って文章量を減らした本である。特に『水滸伝』百回本の文繁本には美文や詩などが至る所に挿入されており、中には作者の衒学的な趣味が露出していたり、あまり意味が無いものなども多く、読む上でストーリーの妨げになるものが少なくない(それゆえ七十回本では金聖歎によって削除されている)。そこで手早く話の筋を追いたい読者向けに文飾を削り、また文章のボリュームが減った分、挿絵を増やすなどの工夫を行って手軽に読めるようにしたものが文簡本である。ページの上半分を『水滸伝』、下半分を『三国志演義』に分け、2つの小説を合わせて読めるタイプのものまで作られた。 文繁百回本の成立後、早くも文簡本として百十回本や百十五回本が登場している。文繁本よりも回数が増えているのは上記のごとく田虎・王慶の段が追加されたからで、『新刊京本全像挿増田虎王慶忠義水滸伝』等の書名が残っている("京本"は北平(北京)での出版、"全像"は全ページ挿絵つき、"挿増田虎王慶"は田虎・王慶征伐が新たに加えられている、の意)。成立年代は万暦初年と思われる。これを元に文繁百二十回本が作成されたのは前述の通りである。 また百二十回本の成立後にはさらに『水滸後伝』(後述)を付け足した百二十四回本(1879年刊)などの文簡本も作られた。『水滸後伝』は百回本の続篇として書かれていると思われるので、本来は奇妙な組み合わせであるが、文簡本ゆえに問題とはされていない。 水滸伝各版本・関連作品年表明 嘉靖(1522年~) 郭勛『水滸伝』(郭武定本)二十巻百回(散佚) 嘉靖19年(1540年) 高儒『百川書志』に「忠義水滸伝一百巻」との記述 嘉靖20年代 『清平山堂話本』「楊温攔路虎」 万暦(1573年~)初年 『新刊京本全像挿増田虎王慶忠義水滸伝』文簡百十五回本 万暦17年(1589年) 『水滸伝』(天都外臣本)文繁本百巻百回(散佚) 万暦12年(1593年) 『南北両宋志伝』(『楊家将演義』世徳堂本)全五十回 万暦22年(1594年) 『京本増補校正全像忠義水滸志伝評林』(双峰堂本)文簡本 万暦中期 蘭陵笑笑生『金瓶梅』全百回 万暦38年(1610年) 『李卓吾先生批評忠義水滸伝』(容与堂本)文繁百回本 万暦42年(1614年) 楊定見・袁無涯『忠義水滸全伝』(楊定見本)文繁百二十回本 天啓4年(1624年) 馮夢竜『警世通言』「趙太祖千里送京娘」 崇禎14年(1641年) 金聖嘆『第五才子書施耐庵水滸伝』(貫華堂本)文繁七十回本 清 康煕5年(1666年) 『忠義水滸伝』(石渠閣補刊本)文繁百回本 康煕7年(1668年) 陳忱『水滸後伝』全四十回 康煕23年(1684年) 銭彩・金豊『精忠演義説本岳王全伝(説岳全伝)』全五十回 乾隆57年(1792年) 『続水滸征四寇全伝』文簡本抜萃 道光27年(1847年) 兪万春『蕩寇志』七十回
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