『ローマ書』第二版と『時の間』の刊行とは? わかりやすく解説

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『ローマ書』第二版と『時の間』の刊行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 02:35 UTC 版)

カール・バルト」の記事における「『ローマ書』第二版と『時の間』の刊行」の解説

1921年からバルトドストエフスキーニーチェキェルケゴール読みこみ、人間陥る深淵について理解深めた上で、その知識基づいてローマ書』の改訂版書き始める。1922年、『ローマ書』の第二版完成出版される。この第二版出版バルト神学高く評価されるとともに神学者として立場堅いものするこのころ若手神学者集まり弁証法神学機関誌である『時の間』を刊行する。後に対立し続けエミール・ブルンナー面識をもったのもこのときである。同年ゲッティンゲン大学から招聘の手紙を受け取り教壇に立つこととなる。教壇に立つことになった彼は牧師時代学問上の遅れを取り戻すとともに自由主義神学から改革派教会教義学擁護する任に就く。しかし、聖書基礎神学構築する道が、バルトには明確になっていなかった。1924年ハインリッヒヘッペの『福音主義改革派教会教義学』を入手17世紀の古プロテスタント教会教義学知り正統神学学びなおすきっかけとなった1925年ミュンスター大学招聘され1927年に『キリスト教教義学への序論』、1928年には『神学教会』を出版するなど精力的に活動し名声徐々に高まっていった。 1929年バルトアンセルムス研究始め、これが後に『教会教義学』として彼固有の神学方法論確立することになる。バルトは『プロスロギオン』の研究で彼自身が、キリスト教人間学的=哲学的説明から解放した、と語っている。しかし、天と地精神身体本質存在という哲学的=人間学枠組みから解放されたと主張しているようだが、後期マルティン・ハイデッガーこのような形而上学的枠組み解体している。この部分バルト神学未解決の問題存在している。1930年ボン大学神学教授歴任する1931年社会民主党入党する。これはナチス勢力阻止しようとするとともに反対している意思表明し、ゴーガルテンのようにドイツ民族主義明確に区別するためであった1932年からアンセルムス研究基礎に、『教会教義学』を出版し始めた牧会従事しながら聖書中に証されている言葉を、具体的な人間に対して神の言葉として聞かせるべき、と考え牧師説教課題として注釈宣教革新必要だ決定づけたからであった1934年アドルフ・ヒトラーへの忠誠宣誓サイン拒否して停職処分を受け、翌年退職処分となる。

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