『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』
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「マリー・ド・メディシスの生涯」の記事における「『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』」の解説
『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』は、『マリー・ド・メディシスの生涯』全作品の中でも有名な絵画であり、ルーベンス自らがリュクサンブール宮殿の壁に飾った3点の作品のうちの1点である。この作品の主題は大きく二つに分かれている。画面左に1610年5月14日に暗殺されたアンリ4世が昇天する様子が描かれ、画面右にアンリ4世の死去後まもなくフランスの摂政就任を宣言したマリーとなっている。古代ローマ皇帝のような衣装を身に着けた暗殺されたアンリ4世を、ユピテルとサトゥルヌスが神々の住処であるオリンポスへといざなっている。ルーベンスのあらゆる寓意画と同じく、この2柱の神々が『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』に描かれているのには理由がある。ユピテルはアンリ4世の聖性を意味し、有限の象徴でもあるサトゥルヌスはアンリ4世の現世での生の終わりを示唆している。この作品は後世の巨匠たちにも大きな影響を与えた絵画でもある。たとえば、画面下部に苦悩に横たわっている武装を解除した戦争の女神ベローナは、ポスト印象派の画家ポール・セザンヌが、10回にわたって模写を願い出ている。ルーベンスが大胆なまでに古代神話からの寓意を作品に取り入れたのは、友人である著名な天文学者・古美術品愛好家のニコラ=クロード・ファブリ・ド・ペーレスクが収集した古代のコインが大きな役割を果たしていたという背景があった。 画面右に描かれている、新たにフランスの統治者となったマリーは、未亡人に相応しい厳粛な衣装を着用している。マリーは凱旋門と宮廷人たちに囲まれている。宮廷人たちがマリーにひざまずくなか、擬人化されたフランス王国が政権の象徴であるオーブをマリーに差し出している。この情景は『マリー・ド・メディシスの生涯』の一連の作品の中でも、もっとも誇張表現がなされているものの一つとなっている。マリーは、アンリ4世が暗殺された日に自身の摂政就任を宣言したと公言していたが、ルーベンスはこの作品に、マリーからの依頼だったとはいえ、アンリ4世の暗殺とマリーの摂政宣言を同時に描くことにかなりの抵抗感を感じていた。 『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』の、とくに画面右側の描写は同時代の芸術家たちの作品から影響を受けた可能性がある。イタリア人画家カラヴァッジョが、おそらくローマで描いた『ロザリオの聖母 (en:Madonna of the Rosary (Caravaggio))』(1607年)の人物造形には、『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』右側との高い類似性が見られる。華麗な衣装を身にまとう高座の女性、ひざまずいて女性に手を差し伸べる群衆、そして寓意性、象徴性を帯びた人物像などである。『アンリ4世の神格化とマリーの摂政宣言』では、ミネルヴァ、プルーデンス、神々の摂理で、『ロザリオの聖母』では、聖ドミニク、聖致命者ピエトロ、ドミニコ会修道士が描かれている。さらに、両作品に共通する「重要なモチーフ」として、他者を導く者、手袋、ロザリオが挙げられる。これら描かれている事物の全てが作品に説得力を与えるとともに、ルーベンスが同時代のカラバッジョに抱いていた芸術的敬意が見て取れる しかしながら他の芸術家からの影響の有無にかかわらず、ルーベンス自身のたぐいまれな芸術的才能があふれている作品であると言える。
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