「忠臣蔵」の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 14:17 UTC 版)
赤穂浪士の討ち入りが民衆から喝采を持って迎えられ、江戸時代から現代まで、「忠臣蔵」を描いた物語がありとあらゆるメディアで幾度となく作られてきた。 文学者のドナルド・キーンは、忠臣蔵が元禄時代の人々の関心を集めた理由として当時の世相を指摘している。平和な時代が百年近く続いた元禄の世において「武士道は過去のものであり、二度と戻らぬフィクションだと信じられていた。ところがその過去の夢がまったく突然に戻ってきた。それは赤穂四十七士の復讐」であったのである。 現代の「忠臣蔵」論の多彩な展開のいわば原点となっている映画評論家の佐藤忠男の意見によれば、吉良邸討ち入りは「忠義」を名目にしているものの、本質的には武士の意地を示す行動であり、民衆もその意地に感動したのだという。また、忠臣蔵映画が大量に作られた理由として、忠臣蔵映画がいわば俳優の顔見せ的な役割を担っていたことが指摘されている。 歴史学者の山本博文は「忠臣蔵」に人気がある理由として、仇討ち物語であることや幕府への抵抗としての側面があることにふれた上で、「(忠臣蔵に)私達が感動しているのは、(中略)何か目標の為に、命を捨てて行動する「自己犠牲の精神」があるという単純な理由からなのではなかろうか」と指摘している。 歴史学者の尾藤正英は、忠臣蔵に人気がある理由として「組織の名誉を守るためには、自己の命を捨てても悔いない心、すなわち士的な利害の関心を超えた、公共精神とでもいうべきものが、忠義として表彰されていた」ことがあると指摘している。 演芸作家で講談や浪曲の著書がある稲田和浩によれば、人々が忠臣蔵を好む理由として散りゆく者の美学、献身などがあるという。 映画評論家の谷川建司は、忠臣蔵が愛されてきた理由としてカタルシスを挙げている。たとえば浅野内匠頭の切腹の際、無言であることを条件に切腹への立ちあいを許された片岡源五右衛門のエピソードのように、「口には出さなくとも分かってほしい」という強い願望と、「口には出さずともおまえの気持はよく分かっている」というエピソードを追体験することで、強いカタルシスを感じられるようにデザインされていることが忠臣蔵の魅力なのだとしている。谷川はまた、高度経済成長期に忠臣蔵が人気があった理由として、四十七士の達成感をスクリーンを通じて共有することで、第二次大戦の敗戦でズタズタになった日本人のプライドの「再生」を確認することがあったのではないかと述べている。
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