「忠勤藩」「曖昧藩」「朝敵藩」の区分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 05:28 UTC 版)
「賞罰的県名説」の記事における「「忠勤藩」「曖昧藩」「朝敵藩」の区分」の解説
『府藩県制史』の説は同じ官軍側の藩を「忠勤藩」と「曖昧藩」に区分することが前提になっているが、どのような判断基準で区分されたかは特に論証されていない。ただ、典型的な「忠勤藩」として鹿児島藩、山口藩、高知藩、佐賀藩、福岡藩、鳥取藩、広島藩、岡山藩、秋田藩を挙げており、最後の秋田藩(久保田藩)は奥羽列藩同盟を早くに脱退して勲功があったと論じている。旧藩名が第1次府県統合直後までに改称されず、そのまま県名として用いられている例は他にもあるが、明白に「朝敵藩」でかつ第2次府県統合以降も残存した下記の例について、一通りの説明が試みられているのみである。 朝敵藩である福島藩と山形藩は各々移封されて重原藩と朝日山藩となり、元の藩は消滅して福島県や山形県が新置されているので、第1次府県統合の際には無関係。 徳川家親類筋の福井藩は一旦足羽県と改称されており、福井県は後に再置されたもの。 徳川家の和歌山藩は、王政復古大号令に際して迅速に反意なき旨を答え、将軍家茂と和宮との関係で迅速に新政府に恭順の意を示したため。 徳川将軍家の静岡藩は、将軍慶喜が降伏して恭順の意を示し江戸城を明け渡したことを受けて明治政府が新設した藩なので格が違う。
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