「快・苦」と「善・悪」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:22 UTC 版)
「ゴルギアス (対話篇)」の記事における「「快・苦」と「善・悪」」の解説
ソクラテスは、それでは「快」と「善」は同じものか問う。カリクレスは、肯定する。ソクラテスは、それではカリクレスが先程並べて言及した「思慮(知識)」と「勇気」は同じか問う。カリクレスは、「思慮(知識)」と「勇気」は別ものであり、「快」「善」とも異なると答える。 ソクラテスは、「善」と「悪」は相反的なものであり、同時に成立することはないし、一方がある時には、もう一方は無いものか問う。カリクレスも、同意する。ソクラテスは、他方で「喉が渇いている」(苦痛を感じている)時に、「飲んで欠乏を充たす」(快楽を得る)という行為においては、「苦痛」と「快」は同時に成立しているし、「快」と「苦痛」が同時に無くなるのではないかと問う。カリクレスも、同意する。ソクラテスは、では「善」と「快」は別ものなのではないかと指摘する。 更にソクラテスは、「善い人」であるはずの「思慮と勇気のある者」も、「悪い人」である「無思慮で臆病な者」も、例えば戦場における戦況に応じて、同じように「快楽」や「苦痛」を感じるのであり、やはり「善」と「快」は別ものであると指摘。 カリスレスは、「ある種の快楽は善いもの」だが、「他の快楽は悪いもの」なのだと、区別を持ち込む。 ソクラテスは、では「善い快楽」とは「有益な(善いことをもたらす)快楽」、「悪い快楽」とは「有害な(悪いことをもたらす)快楽」であり、「快」ではなく「善」こそが行為の目的であり、また、それらを選び分けるには、技術の心得がある者を必要とするのではないかと指摘。カリクレスも、同意する。
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