多彩な展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:38 UTC 版)
「アレクサンダー・カルダー」の記事における「多彩な展開」の解説
1950年代、カルダーはより複雑で繊細なモビールの制作を精力的に続ける一方、より多い努力をモニュメンタルな巨大彫刻制作に注ぐようになった。有名な例は、1957年にニューヨークのアイドルワイルド空港(現・ジョン・F・ケネディ国際空港)のために作られたモビール『.125』、1958年にマルセル・ブロイヤーが設計したパリのユネスコ本部ビルに設置されたスタンディング・モビール『渦巻(La Spirale)』、1969年にミシガン州グランドラピッズ市の広場に設置された大型スタビル『ラ・グランド・ビテス』、1974年にシカゴの連邦ビルのために作られたスタビル『フラミンゴ』などがある。 最大の作品は、1968年にメキシコ市にメキシコ五輪のため作られた20.5mの高さの『赤い太陽(El Sol Rojo)』である。こうした作品の制作では、まずカルダーが設置される場所をよく調査した上で構想を練り、着色した金属板で両手に収まるサイズのマケット(模型)を組み立てプレゼンテーションを行い、それを拡大して3m前後の大きさの本格的な中間マケットを作り強風で倒れないか風洞実験を行い、最後に工場で組み立てた後に一旦輸送用に解体して現地で設置工事を行った。 1966年にはカルダーは自伝『Autobiography with Pictures(写真入り自伝)』を娘婿のジーン・デビッドソンの口述筆記の助けを得て出版した。 1973年にカルダーはアメリカの航空会社「ブラニフ航空(Braniff International Airways)」に依頼され、DC-8にペイントを施し『空飛ぶキャンバス』とした。1975年にもアメリカ建国200年を記念してボーイング727にペイントをし2機目の『空飛ぶキャンバス』を完成させた。 カルダーは1976年10月のホイットニー美術館での大回顧展のオープニング直後、ニューヨークの次女の家で11月11日に死去した。カルダーはブラニフ航空のための3機目のペイント『メキシコへのトリビュート』に取り掛かっていたところで、死去前日までワシントンD.C.でハート上院オフィスビルのスタビルとモビールを仕上げたばかりだった。 記者:「どうやって制作を終えるべき時が分かるのですか?」 カルダー:「食事の時間になれば分かります」- テレビのインタビューで
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