「ライスシャワーブーム」と批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:18 UTC 版)
「ライスシャワー」の記事における「「ライスシャワーブーム」と批判」の解説
天皇賞での復活劇から高まりつつあったライスシャワーの人気は、死を契機として頂点に達し、京都競馬場の記念碑建立等の一因となった。一方、この現象についてはライスシャワーの死が過剰に美化されているとの意見が存在しており、ライターの北野海人は「ライスがああやって悲惨に死んだことだけを美化して、『ライスは永遠に不滅です』なんて取って付けたように英雄視するのはやめようよ」「偉大な『ヒール伝説』の本質を忘れて、レース中に死んだというごく日常の事象だけを取り上げてブルボンやマックイーン以上に正統な英雄として仕立て上げる。これはライスシャワーという馬の本質からかけ離れた無意味な崇拝でしかない」と述べている。 また、須田鷹雄は執筆各誌で不快感を露わにし、その理由として「それは要するに、利己的な目的のために過ぎないからだ。悲劇に酔うためにライスシャワーを利用した。そう断定してもいいと思う。だって、元気で走っている頃、ファンはどれだけライスシャワーに思い入れを抱いていただろうか?『ブーム』には明らかに基盤になるものがない」と述べた。また、一部ファンからの非難が厩舎関係者に及んだため、須田はこうしたファンに対し「(ファンの感傷に)本物の関係者を巻き込むな」と批判した。さらに「ライスシャワー報道のひとつひとつが、驚くほど似たテイストで統一されているのはどうしてなのか」「経済動物論のように、本来競馬を支えている基本理念みたいなものが罪悪視されている状況はどうなのか」とマスコミも同時に批判し、一連の「ライスシャワーブーム」を「全体主義的」と評した。記者の片山良三は、「志半ばで散ったライスシャワーを『かわいそう』と感じるのはファンなら当然のことで、競馬雑誌のファンの声欄にそうした意見が溢れるのは健全な流れ。しかし、ジャーナリズムに携わる人間までがセンチメンタリズムに流されるのはいかがなものだろう。『君のことは一生忘れない』式の文章が氾濫したことしたこと。そんな"敬語"を使えば馬のことを親身に思っていると錯覚させるようなテクニックは、プロの文章家のものとしては見苦しく感じられた」とマスメディアを批判した。 日本中央競馬会が2000年に行ったファン投票による名馬選定企画「20世紀の名馬大投票」では、13442票を集め11位にランクインした。結果についての講評会の席上では、吉沢譲治が「一番おどろいた」結果としてライスシャワーの順位を挙げ、「どうしてもこの馬が11位の馬とは思えないんです。もっともっと上位に来るべき馬がいると思います。これはちょっと納得できないですね」と述べた。これに対し聞き手の結城恵助は「非業の死を遂げたという影響がある」とし、他にも競走中の事故が原因で死亡した馬が数々ランクインしていることを取り、作家の吉川良はこれを「日本人的美徳」と評した。
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