「ライシャワー事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:14 UTC 版)
「エドウィン・O・ライシャワー」の記事における「「ライシャワー事件」」の解説
1964年(昭和39年)3月24日にアメリカ大使館ロビーで当時19歳の少年(統合失調症で入院歴があった)にナイフで大腿を刺され重傷を負った。この時に虎ノ門病院で輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し多くの日本人から賞賛を浴びたが、この輸血が元で輸血後肝炎に罹る。3か月の入院を経て回復し(その後ハワイ州ホノルルの海軍の病院に検査のために再入院した)一時は辞任を考えたものの、「今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう」と考え留任することを決め、その後も駐日大使として活躍した。 この事件がきっかけになり売血問題がクローズアップされ、日本において輸血用血液事業は日本赤十字社が独占し、血液は献血により調達されることに閣議決定がなされた。また、「精神障害者を隔離収容すべき」と言う「精神障害者野放し論」が新聞や雑誌などメディアを席巻し、世論の支持を得るようになった。厚生省も、精神科病院への隔離収容政策(社会的入院)を始め、翌年には精神衛生法(当時の名称)の改正がなされた。事件発生の責任をとり、池田勇人 首相が衛星中継でアメリカ国民に向け謝罪したほか、事件翌日の3月25日に早川崇国家公安委員会委員長が引責辞任した。また外国要人の警護強化が課題となり、警視庁警護課(のちのセキュリティポリス)創設のきっかけとなった。
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