黄色い血
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 10:04 UTC 版)
日本で輸血用血液を売血で賄っていた当時、金銭を得るために過度の売血を繰り返していた人たちの血液には黄色い血との俗称がついた。黄色は肝炎の症状である黄疸、また血漿自体の色が黄であることから、赤血球数が回復しない短期間で再び売血することにより、その血液が黄色く見えたことに由来する。広く知られるきっかけとなったのが、ライシャワー事件である。 1960年代初頭には、まだ感染症の検査が不十分だったことに加え、売血者はそのほとんどが所得の低い肉体労働者であった。この層では覚醒剤の静脈注射が蔓延しており、注射針の使いまわしなどによるウイルス性肝炎の感染が広がっていた。血液を買い取る血液銀行と売血者双方のモラルは低く、加えて売血者集めは暴力団の資金源でもあった。こういったことから貧血や、明らかな肝障害を無視しての雑な売血が横行していた。 結果としてウイルスに汚染された輸血用血液が出回り、医療現場では輸血後肝炎が頻発していた。輸血時に肝炎を合併するリスクは一説には20%もあったとされ、当時は医師達もこれを、手術の際などには当然甘受すべきリスクとしていたほどである。 1962年には、高校生や大学生を中心とした売(買)血追放運動が各地で起こり「黄色い血追放キャンペーン」が張られた。 そのような状況の中、1964年、ライシャワー駐日アメリカ合衆国大使が刺される事件がおきた。大使は一命をとりとめたが、手術時の輸血により、輸血後肝炎を発症したことが明らかになる。そうした動きにより、提供者のモラルが期待できる献血制度へと血液行政は大きく舵を切ることとなった。1964年に閣議で輸血用血液を献血でまかなうことが決定され、5年後の1969年に売血が終息している。 現在、日本では売血は禁止されている。かつては献血の記念品として、クオカードや図書券といった換金性のある金券が渡されていたが、2002年に公布・施行された「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律(血液法)」に抵触するため、現在は行われていない。ただし、日本赤十字社による表彰制度や、ガラス器、ガラス盃、食品などの贈呈、飲料やドリンクバーの無料提供などは現在でも行われている。 その一方で、HIVなどの感染症検査は保健所で匿名かつ無料で受けられるにもかかわらず、感染症の検査目的で献血する者が見受けられるなど、売血とは別の面でのモラル低下は深刻である。なお感染症の有無は献血者に知らされず、感染が確認された血液は廃棄される。
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