「ライシャワー発言」
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「エドウィン・O・ライシャワー」の記事における「「ライシャワー発言」」の解説
1981年(昭和56年)5月18日付毎日新聞に、古森義久記者の取材に対する「非核三原則の規定する持ち込みとは陸揚げを指し、核兵器を搭載した艦船の寄港は含まない」「日米間の了解の下で、アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」「これについては日米安保条約の規定する"事前協議"の対象とならないことを日本側も了解していた」とのライシャワーの発言が掲載された。「核兵器搭載艦船は日本寄港の際にわざわざ兵器を降ろしたりしない」の「ラロック証言」と並び有名な「ライシャワー発言」である。これにより、「非核三原則」違反を元アメリカ大使が認めたとして日本政府が野党などの追及を受けることになる。これに対して日本政府は園田直外相が当時のマイケル・マンスフィールドアメリカ大使から、ラロック証言の後にアメリカ政府が表明した「日本政府の核政策に背かない(したがって核持ち込みはない)」との旨の再確認をとりつけ、あわせて更なる対米交渉を行うつもりはないとして押し切っている。 なお、後の1999年(平成11年)には、日本の大学教授がアメリカの外交文書の中に「1963年にライシャワーが当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器の持ち込みを了承した」という内容の国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録を発見し、この発言を裏付けることになった。 この様に当時のアメリカ大使が日本への核持ち込みを認め、その後大学教授が当時の外相とアメリカ大使の間で核持ち込みについて了承を行ったことを証明したのにもかかわらず、当時の自由民主党政権はその事実を認めることはなかった。2009年(平成21年)8月に衆議院選挙に勝利して与党となった民主党の鳩山政権の岡田克也外務大臣は、就任後にこれを「日米核持ち込み問題」として問題視し、調査を行い同年11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。 他にも、沖縄返還直前の1967年、「沖縄の部隊をそっくりグアムに移転させることは可能、費用は総額30億から40億ドル」と発言している。この直後、基地を撤退させない方針となったことが、2011年2月に公開された日本側外交文書で明らかになった。
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