「チェッカーズ・スピーチ」
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「リチャード・ニクソン」の記事における「「チェッカーズ・スピーチ」」の解説
詳細は「en:Checkers speech」を参照 副大統領候補に指名される前からニクソンは、彼に金銭的余裕がないことを知った地元の有志たちが作った支援基金団体から政治活動資金の援助を受けていた。民主党大統領候補のアドレー・スティーブンソンも同様の資金援助を受けていたにもかかわらず、共和党に批判的であったタブロイド大衆紙ニューヨーク・ポスト紙は、共和党全国大会で副大統領候補に指名されて大統領選挙の本選に入った1952年9月18日に、このニクソンの資金援助の事のみを「ニクソンの秘密信託基金」と批判し、さらに「2万ドルを受け取った」、「物品の提供も受けた」と伝えた。さらに元々共和党支持の「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙までがその社説で「ニクソンは辞表を提出すべきである」と主張した。 その後アイゼンハワーの選対本部はこの記事が大統領選挙に与える影響を憂慮し、選対本部の一部はニクソンを副大統領候補から降ろすことや、議員辞職をさせることまでを画策しはじめた。 これに対してニクソンは、「候補を降りることや議員を辞職すれば、これらの疑惑を認めてしまうことになる」と言って候補から下りることを拒否し、テレビで自ら潔白であることを訴える演説を行うこととした。1952年9月23日夜にその模様は全米にテレビ中継された。この演説の冒頭にニクソンは「今夜私は皆さんの前に、米国の副大統領候補として、またその正直さと誠実さを問われている一人の人間として立っています」と述べて、ニクソン家のありとあらゆる私財リストをさらけ出した。「カリフォルニアの両親が住んでいた家が3千ドルで借金1万ドル、ワシントンの自宅が2万ドルでそのまま借金2万ドル、生命保険が4千ドルで借金5百ドル、株と社債はゼロ、ワシントンの銀行からの借金が4千5百ドル、両親から借りた金が3千5百ドル……」自分の個人資産の詳細を事細かく説明して、いかに質素な生活をしているかを訴えた。 逆にトルーマン政権の閣僚の妻達の中には「院外活動をする人々から高価な毛皮のコートを受け取った」と告発されている者がいた事を受け、横に座る妻のパットが「ミンクのコートを持ってはいないが、尊敬すべき共和党員に相応しい布で出来た質素なコートを着用している」と言ってトルーマン政権の閣僚を皮肉るとともに、「以上が私たちの財産と負債の全てです。問題の1万8千ドルは私たちのためには使っていません」として支援基金団体から提供された資金を私的に使用したことを明確に否定した。またパトリシアに対して常に「綺麗だよ」と言っていることも話し、愛妻家ぶりもアピールした。 そして「物品の提供を受けたことはない。しかし例外がある。娘2人が犬を飼いたいと言っていたことを耳にしたテキサス州の支援者からコッカースパニエルをもらった。けれど6歳の長女トリシアが『チェッカーズ』と名付けて可愛がっているので返すつもりはありません」と述べ、さらに「自分が副大統領候補を辞退するべきか否かについての意見を、共和党全国委員会に伝えてほしい」と訴えた。 この放送は、その後「チェッカーズ・スピーチ(英語版)」と呼ばれるほどの大きな反響を視聴者に与えるとともに、「提供された資金を私的に流用した」という批判を払拭し、いわれのない攻撃を受けるニクソンに対する同情と支持を集めることに成功した。さらに、ニクソンを引き続き副大統領候補として留めることを要求する視聴者からの連絡が共和党全国委員会に殺到したことで、副大統領候補の辞退さえ迫られていたニクソンは、引き続き副大統領候補として留まることになった。 しかし、家族だけでなく愛犬までを持ち出したスピーチに対して、一部の左翼的ジャーナリストから「愚衆政治的」との批判を受けることとなった。しかし最初テレビによって救われたニクソンだが、その後はテレビに躓き、最後までテレビに苦しむ政治家となった。
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