「チェスマ」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:01 UTC 版)
1917年(大正7年)2月3日、チェスマは白海艦隊に編入された。同年10月、乗員はソヴィエト軍に参加することを決定。1918年(大正8年)より始まったロシア内戦中の3月に、連合軍がムルマンスクに到着した時、本艦は同地に在泊しており、そのまま連合軍に捕獲された。 本艦は座礁状態であったためにイギリスの判断でボルシェビキ40人を収容するハルク兼刑務所として使用された。1919年(大正9年)10月、イギリス軍が撤退した後、1920年(大正10年)4月24日、チェスマはボルシェビキの白海艦隊に所属。1921年(大正11年)6月16日に保管のためにアルハンゲリスクに移され、検査を受けたがイギリス軍により修理の限度を超えた損傷を受けたため1923年(大正12年)に廃棄処分とされ、1924年(大正13年)7月3日に解役、その後アルハンゲリスクで解体された。
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