「ダーキー」としての描かれ方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 17:20 UTC 版)
「ブラックフェイス」の記事における「「ダーキー」としての描かれ方」の解説
「ダーキー」(darky)は黒人を表す蔑称であり、日本語では「黒んぼ」などと訳される。 エンターテイメント界、児童文学、貯金箱やおもちゃ、様々なゲーム、カートゥーン、コミック・ストリップ、広告媒体、装飾品や衣類、絵葉書、楽譜、飲食物のブランドやパッケージなど様々な媒体で、ダーキーとして動眼、墨塗りの肌、大きな白、ピンク、または赤い唇、輝く白い歯が描かれるようになった。 1895年、イギリスで児童書画家フローレンス・ケイト・アプトンが描いたゴリウォーグが登場した。子供時代に過ごしたアメリカから持ってきたミンストレル人形であるぬいぐるみをモデルとしていた。「ゴリー」という愛称を持つ彼は漆黒の顔、野性的な縮れ毛、赤い唇など典型的ミンストレルの様相をしていた。その後人形、おもちゃのティーセット、香水など様々な商品が製造され、イギリスからアメリカに逆輸入された。「ゴリウォーグ」という言葉は色黒外国人を表す蔑称「ウォグ」(wog)からきているとされる。 1930年代から1940年代、アメリカのカートゥーンではブラックフェイスのネタや他の人種や民族の風刺がしばしば描かれた。ブラックフェイスはミッキーマウスなどのキャラクターの発展への影響の1つとなった。1933年ユナイテッド・アーティスツは、『ミッキーの脱線芝居(英語版)』(原題は初期のミンストレル・ショーへの回顧を意味するメロドラマの改変)は『アンクル・トムの小屋』をディズニーのキャラクターで演出された短編映画である。劇場ポスターでは、元々黒い肌のミッキーだが大きなオレンジ色の唇をし、縮れた白い頬ひげがあり、現在ではトレードマークとなっている白い手袋をしている。 1950年までにアメリカでは全米黒人地位向上協会(NAACP)がアフリカ系アメリカ人の描かれ方などに注意を促すようになり、ブラックフェイスによるパフォーマンスや描写を中止に追い込むキャンペーンを大きく行なった。数十年の間、ダーキーはアイスのピカニニー・フリーズ、レストラン・チェーンのクーン・チキン・イン、ニガー・ヘア・タバコ、ダーキー歯磨き粉(ダーリーと改名)などで見受けられた。 アフリカ系アメリカ人公民権運動の成功により、アメリカ国内ではこのような明白な差別的描写は終焉を迎え、ブラックフェイスはアメリカ人にとってのタブーとなった。 1960年代初頭、日本ではダッコちゃん人形が大人気となった。ダッコちゃんは大きな赤い唇と草でできたスカートを履いた黒人の子供を模した人形であった。男の子と女の子の人形があり、女の子はリボンをつけていた。人形の黒い肌はジャズの人気の上昇から選定されたものとされる。小説家河野典生は「私たちのような若い世代は政治や社会から疎外されている。ニグロのように私たちは抑圧、無理解に長い間さらされ、私たちは彼らと同様に感じている」と語った。
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