「ダンモア砦」への名称変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 21:03 UTC 版)
「ピット砦」の記事における「「ダンモア砦」への名称変更」の解説
インディアンの民族浄化を終えたピッツバーグ一帯の広大な土地は、バージニア植民地とペンシルベニア植民地の双方が所有権を主張するところとなり、白人たちの間で権力闘争が始められた。やがてバージニアの白人植民たちがピット砦を占領し、1770年代の暫くの間、砦はバージニア知事のダンモア卿に因んで「ダンモア砦」と呼ばれた。 「ダンモア砦」は1774年に、イギリス植民地軍による、ショーニー族とミンゴ族インディアンに対する民族浄化である「ダンモアの戦争」で、イギリス植民地軍の拠点となった。 アメリカ独立戦争の間は、この砦が西部戦線の本部として機能した。 現在、フォートピットブロックハウスと呼ばれる煉瓦造りの防塞がポイント州立公園に残っており、ピット砦があったことを示す唯一の遺構となっている。この建屋は1764年に造られ、ピッツバーグだけでなく、西ペンシルベニアでも白人が作った最古の建物と信じられている。家屋として長年使われ、「アメリカ独立戦争の娘達」によって購入され保存され、一般に公開された。ピット砦の基礎の一部が発掘され、砦の部分が再構築されて、ポイント州立公園を訪れる人は砦の大きさを感じ取ることができる。再建されたモノンガヘラ稜堡の部分がピット砦博物館となっている。またピット砦鋳物工場は南北戦争の間、ウィリアム・メトカーフが指導した連邦の重要な軍需工場であった。
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