秋吉久美子 秋吉久美子の概要

秋吉久美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 08:09 UTC 版)

あきよし くみこ
秋吉 久美子
本名 小野寺 久美子[1](おのでら くみこ)[2]
生年月日 (1954-07-29) 1954年7月29日(69歳)
出生地 静岡県富士宮市
国籍 日本
身長 162cm
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1972年 -
配偶者 岩久茂1979年 - 1989年
映像クリエーター(2004年 - 2005年、2006年 - 2014年)[2]
事務所 合同会社秋吉
公式サイト 秋吉久美子オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
花神
夢千代日記』シリーズ
映画
赤ちょうちん
あにいもうと
異人たちとの夏
男はつらいよ 寅次郎物語
深い河
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1995年深い河[2]
優秀助演女優賞
1982年誘拐報道』『制覇』『凶弾
1987年夜汽車
1988年異人たちとの夏[2]男はつらいよ 寅次郎物語
ブルーリボン賞
その他の賞
日本映画批評家大賞
女優賞
1995年深い河
2004年透光の樹
毎日映画コンクール
女優演技賞
1976年『あにいもうと』
女優助演賞
1988年『異人たちとの夏』
キネマ旬報ベスト・テン
助演女優賞
1988年『異人たちとの夏』
山路ふみ子映画賞
女優賞
1995年『深い河』
モントリオール映画祭
女優賞
1995年『深い河』
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略歴

生い立ち

北海道函館市出身で研究者だった父親が戦後、結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[4][5]。小学校生のころに亡くなった祖母との別れが一番印象に残っているとインタビューで語っている[6]。妹が一人いる[7]。その後、父が徳島県日和佐町(現・美波町)の高等学校化学教師として赴任したため家族で移住[4]。しかし、高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[4]。なお、父方の祖父は宮城県仙台市出身で、血縁的にも東北地方とは所縁があった[8]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、場長を務める。アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[4]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業[4]。高校時代は文芸部の部長をしていた[7]。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた『つかのまの久美子』(1977年青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。

1972年高校三年生の時、受験勉強中に聞いたラジオ深夜放送吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけである[2][7][9][10]

女優として

旅の重さ』の主役オーディションでは主役に決りかけていたが[3][11]、遅れて来た高橋洋子に主役を取られ[3][11]、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演[9]。夏休みの一週間だけ撮影に参加し、出演料は7万5千円だった[7]。撮影現場の空気は肌に合ったが、女優になろうとはすぐには思わず、大学へ行こうと思い受験勉強に励む[7]。翌1973年、大学受験に失敗し大きなショックを受ける[7]。いわき市で予備校通いをしたが、浪人も面白くなく、予備校も休みがちになってブラブラしていたとき、隣町で観た街頭アングラ演劇[3]、はみだし劇場に感銘を受け[3]、同劇場の劇作家内田栄一の夫人・内田ゆきに身柄をあずけ上京[7][9]。内田ゆきは秋吉のマネージャーになった[7]。最初の仕事は赤福もちのCM[7]。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビュー[9]。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった[7]1974年藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』で、奇妙な魅力をたたえた女優などと評価されヒット、名が浸透する[7]。続けて秋吉主演で『』、『バージンブルース』(日活)と立て続けに製作され、人気が急上昇した[7]。「クミコ、君を乗せるのだから…」とナレーションが入る日産チェリーF-IICMでは可愛らしさで世の男をノックアウトさせ[3]、愛くるしい表情、70年代を表現する繊細な存在感、今までの日本の青春映画を脱却した大胆な脱ぎっぷりで、桃井かおりとともに[3]、当時のシラケ世代の寵児となる[2][3]

1979年、青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と結婚。男児を産みおよそ2年ほど芸能活動を休止したが後に離婚[12]。結婚を経てかつてのフーテン、ツッパリ、シラケ、ナマイキイメージもとれて、美しさに磨きがかかり[3]、80年代の新しい母親像なども好演し[3]、桃井と違い[3]、茶目っ気もあって明るくスタッフ受けもよく[3]、また裸も綺麗で脱げることから[3]、いい役にキャスティングされるようになった[3]。復帰後、ソープ嬢を演じた『の・ようなもの[2](1981年)、冷めているが可愛げのあるヒロインに扮した『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 (1981年)を始め、『さらば愛しき大地』 (1982年)、『夜汽車』 (1987年)、『異人たちとの夏』 (1988年)、『誘惑者』 (1989年)、『レッスン LESSON』 (1994年)、『深い河』 (1995年)などがある。2004年、『透光の樹』では、深遠な性愛シーンを披露した。

近年

近年はバラエティにもゲスト出演している[2]。TBS系人気番組『クイズダービー』にもゲスト解答者としても数多く出演。しかも1988年10月の特番で、当時産休中だった竹下景子に代わり、4枠に座っていた。ちなみに成績は12勝20敗、3割7分5厘と好成績を修めていた[13]

作詞家としても活躍しており、DOGGY BAG松尾光次にも楽曲を提供している。

2004年12月に26歳年下の日系アメリカ人と結婚したが、翌年夏に離婚。その後、同じ男性と2006年2月に復縁(再入籍)するが、2014年に再び離婚している[2][14]

2006年8月12日、第38回NHK思い出のメロディー』で司会に初挑戦。会見で「あのころは"痛がる時代"だったと思う」と独自の理論を披露した。

2007年1月からTBSでフリーアナウンサー中井美穂と共に一視聴者と同じ視点に立った素直な切り口で『世界陸上大阪大会 秋吉&中井 We Love アスリート』の司会を務めた。なお、番組内で出演した各アスリートの写真を秋吉自らカメラマンとなって撮影し、ポスターを制作するコーナーがあった。この時の写真が好評で、世界陸上の会場にポスターの展示場が開設された。

最終学歴は高卒であったが、個別の入学資格審査を経て、2007年9月より早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻に入学[15]。2009年9月、同研究科を10人中の総代として修了、公共経営修士取得。世界遺産登録5周年記念事業「熊野古道国際交流シンポジウム尾鷲2009」にパネリストとして参加。 2013年には出身地である福島の風評被害払拭のため消費者庁「東北未来がんばっぺ大使」に就任のほか、「三重県文化審議会委員」も務める。 2013年「わたしの人生〜我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞。

2015年1月、35歳の長男が事故死した[16][17]

人物

趣味は旅行、特技は英会話。

肉が甘いからという理由ですき焼きが嫌い。

シラケが流行した1970年代の時代性を象徴し、そのユニークな言動が話題を呼んだ[7]。当時はカワイコちゃんタレント全盛の時代でもあり、秋吉の言動は余計に目立つこととなる[9]。芸能界にデビューしたての若い少女にありがちな発言を求めた記者に対抗して「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」などと発言し「シラケ女優」のレッテルを貼られた[9][18]。また『妹』の公開前、宣伝のために出演した番組にて共演者が礼儀正しくインタビューに答えていたのに対して、頬杖をついて別の方向を見ていた。なお、当時の様々なラディカルな言動については後に「不器用だったのかな」と振り返った発言もある。

2016年、写真集「KUMIKO AKIYOSHI 1973 NUDE」小学館の発売記念サイン会で、デビュー当時ヌード撮影だと事前に知らせず黙って現場へ連れて行った当時のマネジャーについては「お墓の下にいるけど、まだ許してない」と語っていた[19][20]

2020年から、雑誌「ココア共和国」(発行元:あきは詩書工房一般財団法人(仙台市))に掲載されたアマチュアのの中から、年間2本以上投稿した人を対象に選考の上「秋吉久美子賞」を贈呈している。審査員は秋吉と斎藤貢[21]


  1. ^ a b 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、22頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b c d e f g h i j 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.87.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「《昔の素顔・今の横顔》(5) 秋吉久美子 『ツッパリがとれて美しさに磨きが…』」『映画情報』1982年5月号、国際情報社、32頁。 
  4. ^ a b c d e 週刊現代講談社、2011年10月8日号、83-82頁
  5. ^ 東北の海の幸が“道端”に 秋吉久美子さん:日本経済新聞
  6. ^ 「父の最期から多くを学んだ」秋吉 久美子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第1回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年7月20日). 2024年4月10日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 山下勝利「早過ぎる自叙伝 20代のまぶしい女たち(16) 秋吉久美子」『週刊朝日』、朝日新聞社、1983年10月21日、pp. 142-146。 (秋吉本人の取材に基づく記事)。
  8. ^ 北海道 地震”. 秋吉久美子オフィシャルブログ「アキグミ」 (2018年9月6日). 2023年9月9日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、15-16頁
  10. ^ 自著『勝手にさせて』河出書房新社、1986年、52頁、残間里江子『女の仕事―地球は、私の仕事場です』朝日新聞社、1997年、230-231頁、『ぴあシネマクラブ 日本映画編』ぴあ、2006年、429頁
  11. ^ a b 「雑談えいが情報 昔の素顔・今の横顔(11) 高橋洋子 ういういしい少女が映画監督に...」『映画情報』、国際情報社、1982年11月号、25頁。 
  12. ^ わたなべ宏(映画評論家)「ちょっとハート・ウォームな女(レディ)に 秋吉久美子」(パンフレット)『冒険者 (アドベンチャー) カミカゼ』、東映株式会社映像事業部、1981年11月7日、15頁。 
  13. ^ なお、特番の時の成績も含めると14勝23敗である。
  14. ^ 秋吉久美子(60)、26歳年下夫とまた離婚 「年齢と経験による温度差」(2014年12月26日)J-CAST ニュース 2015年2月20日閲覧
  15. ^ "50代で早稲田大学大学院に進学した秋吉久美子が語る"大人の学び直し"「いまだなと思ったタイミングに始めたことってやり遂げられるんです」". マネーポストWEB. 小学館. 28 March 2024. 2024年3月28日閲覧
  16. ^ 「誰かに追われていた」のはなぜか 秋吉久美子の長男がナゾの転落死(2015年2月12日)J-CAST ニュース 2015年2月20日閲覧
  17. ^ 「卵で産みたい」発言から36年 秋吉久美子の長男が“非業の転落死”(2015年2月11日)週刊文春WEB 2015年2月20日閲覧
  18. ^ 他に「なまいき」、「宇宙人」、「新人類」、「プッツン」などと時代時代の異邦人的な扱いを受けてきた。有名なものにできちゃった結婚の際の記者会見の「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」などの発言を残した。
  19. ^ 「秋吉久美子 解禁幻ヌード秘話 何も知らされず 持論で演じたものを見せたかった - ZAKZAK(2016年02月09日)ZAKZAK 2021年03月10日閲覧
  20. ^ 内容知らず…秋吉久美子が語った“19歳初ヌード”撮影秘話|日刊ゲンダイDIGITAL(2016年04月05日)日刊ゲンダイDIGITAL 2021年03月10日閲覧
  21. ^ 第2回 秋吉久美子賞《詩の募集》”. あきは詩書工房. 2021年11月6日閲覧。
  22. ^ 映画『かぞく』作品情報”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2023年11月3日閲覧。
  23. ^ 田中麗奈主演ドラマ「愛おしくて」主題歌を島谷ひとみが担当”. エキサイトニュース (2015年9月18日). 2015年10月3日閲覧。
  24. ^ 連続ドラマW フィクサー Season3 相関図”. 連続ドラマW フィクサー Season3. WOWOW. 2023年10月8日閲覧。
  25. ^ 海外ドラマ『フュード/確執 ベティvsジョーン』 吹替キャスト決定!”. スター・チャンネル. 2017年8月14日閲覧。
  26. ^ 「宣伝部を歩く(2)日清食品 / 島森路子」『広告批評』第190号、マドラ出版、1996年1月1日、66頁、NDLJP:1853162/35 


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