解釈をめぐる論争とは? わかりやすく解説

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解釈をめぐる論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 03:36 UTC 版)

全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の記事における「解釈をめぐる論争」の解説

この予言に関しては、初出から100年近く後になってイエズス会士クロード=フランソワ・メネストリエ(フランス語版)が初め本格的な偽作説提示した。『誤って聖マラキ帰せられている教皇選挙に関する予言への反駁』(1689年)などのパンフレット示され彼の指摘その後偽作説基盤となり、それをさらに敷衍したのが神学博士のルイ・モレリ(フランス語版)(1643年 - 1680年であった。モレリはその大著歴史事典』(初版1674年死後増補された)の聖マラキの項において、信奉者側の解釈含めたマラキ予言紹介包括的な批判行なった。彼らの批判要点は、前述したシモンチェッリ関連を除くと、おおよそ以下のようにまとめることができる。 1595年以前伝聞存在しないマラキ予言1595年公刊されるまで、誰一人として言及していなかった。マラキ交流があった同時代人クレルヴォーのベルナルドゥスマラキ伝記をまとめ、彼に予言才能があったと紹介しているが、そのベルナルドゥスですら教皇に関する予言について何も語っていない。また、ローマ動向聞き及ぶことができたはず同時代各地著名な聖職者たちの証言いっさい見当たらない教皇についての歴史年代記執筆した人々マラキ死後何人も出ているが、彼らの著書でもいっさい触れられていない。特にヴィオンが解説者として言及しているチャコンは、歴代教皇生涯について書いているにもかかわらず、そこでも一切言及見られないアイルランド著述家たちには、母国聖人伝のようなものをまとめた人々がいるが、彼らも誰ひとり言及していなかった。 1595年以前教皇配列がおかしい。対立教皇10含まれているが、その標語の中で「スキスマ」(分裂)やその類語用いて対立教皇であることを明示しているのは2人だけで、あとは正式な教皇入り混じっている。 さらに、対立教皇配列順が年代的に誤っている。マラキ予言では、一般的なローマ教皇の一覧比べて順序異なっている箇所が2箇所ある。まず、標語6番から8番は3人の対立教皇あてられているが、彼らは9番に当てはめられているアレクサンデル3世選出反対した3人の枢機卿が順に立ったものなので、アレクサンデル3世先に置くのが一般的である。また、アレクサンデル3世反対した4人目対立教皇であるインノケンティウス3世抜けている。こうした不適切配列は、16世紀年代記誤り引き写した可能性指摘されている。 42番から51番はいわゆる教会大分裂期の教皇であるが、アヴィニョン選出対立教皇42-44番)を最優先するという明確な意図読み取れる。ついでローマ選出教皇45-48番)、ピサ選出対立教皇49-50番)の順になっているが、この結果対立教皇クレメンス8世44番)よりもマルティヌス5世51番)の方が7つも後という、変則的な配列になっているマルティヌス5世選出されコンスタンツ公会議で、当時アヴィニョン教皇であったベネディクトゥス13世強制的に廃位とされた。その没後アヴィニョン立った対立教皇クレメンス8世である)。 1595年以前予言については、事実関係誤り含まれている。以下のリストで見るように、16世紀当時には正しいとされていた情報基づいて予言書かれているが、のちに誤りであると判明したり、事実疑わしくなっている事柄含まれている。 標語あまりにも漠然としすぎている。現代でも1595年以降曖昧さはしばし批判されるが(後述)、メネストリエは1595年以前についても、短い標語にすぎないのだから、こじつければほかの教皇にも十分に適合することを実際に示した。たとえば、『追い払われた敵』(2番)は、標語対象時期直前対立教皇アナクレトゥス2世在位1130年 - 1139年)によく当てはまる。彼はローマ市民らの支持取り付けていたが、有力者らからは徹底的に批判されその死後クレルヴォーのベルナルドゥス別の聖職者に「敵が追い払われた」という趣旨言葉書き送ったからである。また、現在の予言書で『追い払われた敵』に対応しているルキウス2世は、『山の大きさ偉大さ)によって』(3番)に当てはめてもおかしくない。彼はエルサレム聖十字架修道参事会員などだったことがあり、エルサレムゴルゴタの丘イエス・キリスト磔刑執行され大いなる丘(小山)だからである。メネストリエはこんな調子序盤予言対応関係次々入れ替えてみせた。 こうした偽書説対し19世紀後半になるとパレ=ル=モニアルフランス語版)の病院司祭オータン名誉参事会員だったフランソワ・キュシュラ (François Cucherat) が、マラキ予言真作であるという立場から擁護論展開しマラキ苦境にあったインノケンティウス2世を励ますために予言献上したが、それ以降バチカン秘匿され続けたために、同時代それ以降証言一切ないのだとした。この擁護論は後にカトリック百科事典の「予言」の項でも引き合い出されることになるが、それに対しては、アルスターカトリック司祭であったM. J. オブライエンが『いわゆる聖マラキの予言に関する歴史的批判的報告』(1880年)の中で反論し、キュシュラが主張した話の信憑性疑問を呈するとともにひとつひとつ標語について信奉者側の解釈紹介しつつ、懐疑的な検証行なったその後神学博士哲学博士カトリック神父ジョゼフ・メートルが、1901年から1902年にかけて2冊の大著をものして擁護論展開するどしたが少なくとも従来百科事典人名事典キリスト教カトリックに関する専門事典などでは、16世紀捏造された偽書として扱われるのが普通である。フランシスコ会聖アントニオ神学院教授同校長などを歴任したカトリック神父のセラフィノ・フィナテリも、19世紀ドイツ神学者アドルフ・フォン・ハルナック見解引き合い出しつつ、偽書断じた。また、オックスフォード大学のセント・アンズ・カレッジ副学寮長だった宗教史家マージョリ・リーヴスや、予言テクスト史的分析によってパリ第10大学博士号取得したジャック・アルブロンフランス語版)といった歴史学者たちも、その偽作された背景に関する分析などを展開した。アルブロンはフランス国立図書館1994年1月から2月開催した展示会占星術予言」にも関わっており、同展示会カタログでは、聖マラキの予言関連文書中世の『全ての教皇に関する預言』の流れを汲む偽書およびその解釈書と位置づけられていた。フランスの超領域学術研究国際センター研究員宗教心性史などが専攻のジョルジュ・ミノワ(フランス語版)も、やはり偽作という立場言及している。ほかにサクラメント・シティ・カレッジ(英語版名誉教授哲学者ロバート・キャロルは、疑似科学方面への懐疑的項目を多く収録した著書懐疑論者の事典』の「マラキ・ウア・モルガイル大司教」の項目において、偽書かどうか断じていないが、信奉者的な立場から解釈する行為を「靴べら行為」のひとつと位置づけている。 偽作説有力視されるようになってからも、通俗的な信奉者たちは予言解釈積み重ねそれぞれの標語教皇自身歴史的事件的中させていると主張してきた。そして、ヨハネ・パウロ2世就任順から110番目の標語対応する)が在位している頃までは、在位年数の平均などを元にマラキ最後予言ローマ教会または世界破滅)が1999年頃に実現する考える者たちもいた。その結果ノストラダムス予言にある1999年恐怖の大王による破局重ねて解釈されることもしばしばであったヨハネ・パウロ2世在位期間長期わたったが、112番目を1999年重ねて解釈する論者にとっては、彼が早く退位しない都合が悪い。そこで、1990年代予言信奉者たちには、ノストラダムス予言などの解釈結果としてヨハネ・パウロ2世1999年以前暗殺されて、次の教皇即位するなどと主張する者も少なからず見られた。1999年何事もなく過ぎると、今度2012年人類滅亡説が広まるに従い、その種の予言解釈本やオカルト雑誌ムー』の増刊などでは、マラキ予言が示す最後時期近く訪れるという形で紹介されることもしばしばであった。 なお、信奉者のダニエル・レジュは、ローマサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂19世紀焼失したのち再建)の歴代教皇肖像画掲げスペースが、ヨハネ・パウロ2世時点で、彼のほかにあと1人分しか空いていないとして大聖堂再建した時点での教皇庁聖マラキの予言信じていた証拠だと主張していた。日本関連文献にはこれをそのまま紹介しているものもあったが、懐疑主義団体ASIOS原田実逆にベネディクト16世時点でさえもまだ何代分もの空白があり、聖マラキの予言教皇庁では気にかけられていない証拠ではないか主張している。 現在の偽作説では、どのような方法偽作されたのかについても仮説提示されている。まず、予言標語最後散文を除く)が111あるのは、1590年段階過去当たっていた74人分に、その半分37人分)を付け加えただけに過ぎない単純に計算した場合、(1143年から1590年向けの半分であるので)19世紀初め頃までの予言し想定してなかったことになるが、これは終末がそう遠くない考えられていた16世紀当時予言的言説整合的である。 さらに、そうして作成され1590年段階未来当たっていた予言句は、16世紀当時知られていた聖書外典予言書テクストから安直に単語拾い集めて捏造されている可能性がある。一例挙げるなら、『天使牧者』(106番)は、ヨハン・リヒテンベルガー(英語版)の占筮36章に出てくる天使教皇たち(終末天から遣わされる考えられ中世の伝説教皇で、「天使牧者」とも呼ばれた)についての記述から借用されている可能性がある。また、同章で言及されている、後を継ぐ3人の聖者のうち、「船乗り呼ばれることになる」1人目は『牧者にして船乗り』(107番)の、「太陽高揚位置にある時に現れる3人目は『太陽労働によって』(110番)の、それぞれになった可能性があると指摘されている。

※この「解釈をめぐる論争」の解説は、「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の解説の一部です。
「解釈をめぐる論争」を含む「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の記事については、「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の概要を参照ください。

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