秦とは? わかりやすく解説

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しん【×秦】

読み方:しん

人名用漢字] [音]シン(漢)

中国周代国名。「秦篆(しんてん)/先秦

名のり]はた

難読秦皮(とねりこ)


しん【秦】

読み方:しん

中国国名

[一]春秋戦国時代の国の一。戦国七雄の一。初め秦(甘粛)の地にいたが、前771年、周の諸侯に列せられて以後渭水(いすい)に沿って東進勢力拡大して、前249年に周を滅ぼし、前221年政(始皇帝)の時には六国滅ぼし天下統一。都は咸陽。前207年3代15年で漢の劉邦(りゅうほう)(高祖)に滅ぼされた。

[二]五胡十六国時代の3王朝前秦後秦西秦


はた【秦】


はた‐しん【秦】

読み方:はたしん

《「秦」を「はた」と訓読するところから》中国古代国名「秦」を、同音の「晋(すすむしん)」と区別していう語。


秦 (しん)


読み方:ハダ(hada)

所在 岡山県総社市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

読み方
かな
しん
しんの
じん
そう
ちん
はた
はだ
ひろし
みなと
やすし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 03:55 UTC 版)

(しん、拼音: Qín紀元前905年 - 紀元前206年)は、中国王朝である。代・春秋時代戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に史上初めて中国全土を統一、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間を秦朝秦代と呼ぶ。紀元前221年に中国史上初めて天下統一を果たした王の姓はえい、氏は[注 7]。統一時の首都は咸陽


注釈

  1. ^ 前905年、周の孝王に仕えていた非子が馬の生産を行い、功績を挙げたので嬴の姓を賜り、秦の地に封ぜられた。
  2. ^ 前770年(平王元年)、襄公は伯爵となった。
  3. ^ 325年(顕王44年)、恵王は王となった。
  4. ^ 前288年(赧王27年)、昭王は西帝となった。
  5. ^ 前221年に始皇帝は中華を統一して大秦帝国を創立。
  6. ^ a b 皇帝ではなく秦王を称した。
  7. ^ この時代の中国では「姓」と「氏」は別である。秦の家系は遠祖「革」以来一貫して姓は「嬴姓」であり、氏は「趙氏」である。なお通常、男性は「氏」を、女性は「姓」を名乗ったので、始皇帝が「嬴政」と自称したり人から呼ばれたりしたことはありえない(正しくは「趙政」)。
    女防中国語版旁皋中国語版,旁皋生太幾中国語版,太幾生大駱,大駱生非子造父中国語版之寵,皆蒙趙城,姓趙氏
    秦之先為嬴姓。其後分封,以國為姓,有徐氏、郯氏、莒氏、終黎氏、運奄氏、菟裘氏、將梁氏、黄氏、江氏、修魚氏、白冥氏、蜚廉氏、秦氏。然秦以其先造父封趙城,為趙氏。司馬遷史記』秦本紀)
  8. ^ 『史記』始皇本紀ではとなっている。
  9. ^ 鄴攻めではなく平陽の戦いを統一戦争の始まりとすることもある。
  10. ^ 代は燕と連携をとり秦に対抗する。王賁により代王嘉が捕虜になる紀元前222年まで命脈を保った(燕攻略も参照)。
  11. ^ この時点で趙の滅亡とすることもある。
  12. ^ 即位して3日後に死去した。
  13. ^ 中国統一後に皇帝を称した。
  14. ^ 在位46日。

参考文献

  1. ^ 鸟虫篆文体
  2. ^ 史記 巻四 周本紀』:幽王以虢石父為卿,用事,国人皆怨。石父為人佞巧善諛好利,王用之。又廢申后,去太子也。申侯怒,與繒・西夷犬戎攻幽王。幽王挙烽火徴兵,兵莫至。遂殺幽王驪山下,虜褒姒,盡取周賂而去。於是諸侯乃即申侯而共立故幽王太子宜臼,是為平王,以奉周祀。
  3. ^ 史記 巻四十二 鄭世家』:二歳,犬戎殺幽王於驪山下,並殺桓公。
  4. ^ 佐藤信弥 2016, pp. 209–210.
  5. ^ 島崎晋 2019, pp. 79–81.
  6. ^ 史記 巻六 秦始皇本紀』:(始皇)六年,韓・魏・趙・衛・楚共撃秦,取寿陵。秦出兵,五国兵罷。
  7. ^ 史記 巻四十三 趙世家』:(悼襄王)四年,龐煖将趙・楚・魏・燕之鋭師,攻秦(蕞),不抜;移攻斉,取饒安。
  8. ^ 史記 巻四十 楚世家』:(考烈王)二十二年,與諸侯共伐秦,不利而去。
  9. ^ 史記 巻七十八 春申君列伝』:攻秦至函谷関。
  10. ^ 島崎晋 2019, pp. 32–34.
  11. ^ (中国語) 秦滅趙之戦 [Qin's conquest of Zhao] (wiki), Hudong Baike, http://www.hudong.com/wiki/秦灭赵之战 
  12. ^ 『史記』秦始皇本紀「十三年,桓齮攻趙平陽,【正義】:括地志云:「平陽故城在相州臨漳県西二十五里。」又云:「平陽,戦国時属韓,後属趙。」殺趙将扈輒,【正義】:「扈音戸。輒,張猟反,趙之将軍。」斬首十万。王之河南。正月,彗星見東方。十月,桓齮攻趙。十四年,攻趙軍於平陽,取宜安,【正義】:括地志云:「宜安故城在常山城県西南二十五里也。」破之,殺其将軍。桓齮定平陽、武城。【正義】:「即貝州武城県外城是也。七国時趙邑。」」
  13. ^ 『史記』廉頗藺相如趙奢李牧列伝「七年,秦破殺趙将扈輒于武遂,斬首十万」
  14. ^ 『史記』趙世家「二年,秦攻武城,扈輒率師救之,軍敗,死焉。三年,秦攻赤麗、宜安...」
  15. ^ a b 巻二十一 趙策四
  16. ^ 資治通鑑 巻六 秦紀一』:桓齮伐趙,敗趙將扈輒於平陽,斬首十萬,殺扈輒。 〔冬,十月,桓齮復伐趙〕桓齮伐趙,〔殺其趙將〕,取宜安、平陽、武城。〔趙王以李牧為大將軍,戰於宜安、肥下,秦師敗績,桓齮奔還。趙封李牧為武安君〕。
  17. ^ 史記 巻六 秦始皇本紀 第六』:十三年,桓齮攻趙平陽,殺趙將扈輒,斬首十萬。王之河南。……十月,桓齮攻趙。十四年,攻趙軍於平陽,取宜安,破之,殺其將軍。桓齮定平陽、武城。
  18. ^ 史記 巻八十一 廉頗藺相如列伝』:後七年,秦破殺趙將扈輒於武遂,斬首十萬。趙乃以李牧為大將軍,撃秦軍於宜安,大破秦軍,走秦將桓齮。封李牧為武安君。
  19. ^ 史記 巻四十三 趙世家』:二年,秦攻武城,扈輒率師救之,軍敗,死焉。三年,秦攻 赤麗、宜安,李牧率師與戰肥下,卻之。封牧為武安君。
  20. ^ a b c 秦滅韓和破趙”. 中華文化信息网. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月3日閲覧。
  21. ^ a b Li & Zheng 2001, p. 184.
  22. ^ a b c d e f g 寺田隆信 1997, pp. 48–49.
  23. ^ 廉頗藺相如列傳第二十一
  24. ^ 趙世家第十三
  25. ^ Li & Zheng 2001, p. 187.
  26. ^ (中国語) 秦滅魏之戦 [Qin's conquest of Wei] (wiki), Hudong Baike, http://www.hudong.com/wiki/秦灭魏之战 
  27. ^ 史記』楚世家
  28. ^ 秦滅楚 Archived 2015-09-23 at the Wayback Machine. 中華文化信息网
  29. ^ 馮夢竜東周列国志』“王賁兵渡鴨緑江,圍平壌城,破之,虜燕王喜,送入咸陽,廢為庶人。”但純属小説家之言,不足為信。
  30. ^ a b 秦滅燕、趙和破斉 Archived 2015-09-23 at the Wayback Machine. 中華文化信息网
  31. ^ a b Duiker, William J. Spielvogel, Jackson J. Edition: 5, illustrated. (2006). World History: Volume I: To 1800. Thomson Higher Education publishing. ISBN 0495050539, 9780495050537. pg 78.
  32. ^ 柿沼2015
  33. ^ Ren, Changhong. Wu, Jingyu. (2000). Rise and Fall of the Qin Dynasty. Asiapac Books Pte Ltd. ISBN 9812291725, 9789812291721.



秦(しん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:39 UTC 版)

キングダム (漫画)」の記事における「秦(しん)」の解説

中華西端大国首都咸陽昭王の代に六大将軍働きによって大きくその勢力伸ばした七国中でも一、二を争う強国。その強大振りから、一時期は「西帝」とよばれた程である。作中でも天下統一狙い活発な軍事活動続けてはいるが、昭王時代より武威には陰り見える。荘襄王の代に丞相となった呂不韋が国の実権握っており、大王派との間で政争続いていたが、嬴政加冠の儀の際における政変により、大王派が実権取り戻している。歩兵における什伍制度代表されるように、七国中最も論功行賞制度確立されている。 六大将軍ろくだいしょうぐん) 昭王によって「戦争の自由」という権利与えられた秦の6人の大将軍。彼らの存在によって、かつての秦は中華で最も危険な国とされていたが、昭王亡き後はその名を継ぐ者現れず、その武の威光失われている。呂不韋によると、六大将軍制は常に兵糧兵士補充を必要とし、国に著し負担与え、また独立色を強め制度のために謀反恐れが常に付きまとうとされ、昭王と六将の間にあった忠誠心があってこそ成り立っていたという。構成員白起筆頭として王騎・摎・王齕胡傷司馬錯唯一存命していた王騎も作中没した。始皇十三年に、政により六代将軍制の復活宣言蒙武・騰・王翦楊端和桓騎の5人が任命されたが、6人目は他の5人と比肩する者がまだいなかったため空席となっている。 飛信隊(ひしんたい初陣での戦果で信が百人となった時に発足した特殊部隊で、発足初戦の馬陽戦において王騎から「飛信隊」の名を授かる発足当初一癖も二癖もある荒くれ百姓中心とした特殊百人隊で、渕、羌瘣2人副長としていた。百姓ゆえに軍装充分に整わぬばかりか騎馬や弓に長けた配下など皆無等しく、剣と頼った白兵戦戦っていた。馬陽後には三百人隊へと増員され、さらに山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員増員され隊員は元郭備隊の隊員であり、郭備隊副長楚水副長加えた本戦では輪虎を討ち取り、その功で正式に千人将として認可される羌瘣一時離脱。そのため策略を練ることの出来人物がいなくなり苦戦が続く状態であったが、後に河了貂が軍師として参入し改善した対合従軍戦では討ち麃公から兵千人補給され実質二千人隊となった対合従軍戦後論功行賞によって三千人隊へと増員し、元麃公軍岳雷率い五百人を加える。彼らは後に乱戦特化兵「飛麃」と呼ばれるようになった成蟜反乱の頃には隊に復帰した信が四千人将、さらに羌瘣千人将へと昇進し五千人隊となっている。著雍攻略戦では霊凰を討ち本陣落とした功により信が五千人将、羌瘣三千人将へと昇進し八千人隊となった黒羊戦後に元桓騎軍であった那貴とその一家新しく飛信隊加入し、さらに新たに募兵行い選りすぐり千人新兵が加わる。 鄴攻略戦では岳嬰趙峩龍さらには龐煖討ち取り、信(李信)が将軍羌瘣五千将に昇進し合わせて一万五千人の軍となり、その後羌礼加入する三百人隊の時から前線ではその強さ恐れられている一方で決し略奪犯さないことでも有名。剛力ごうりき羌瘣考案した騎馬戦法。伍二組で十人固まって盾を構え陣形で、突撃して来る騎馬一丸と壁になって防御する上手く受ければ敵騎馬を弾いて落馬させることが出来るが、その分反動大きく負傷者も出やすい。 玉鳳隊ぎょくほうたい) 王賁初陣と共に百人隊として発足した特殊部隊で、番陽を副長としている。山陽攻略戦では三百人隊として臨み進軍中に特例として臨時千人隊へと増員戦後正式に千人将として認可されるその後山陽平定の功で二千将に昇進合従軍戦で王賁臨時五千人の指揮任され戦後三千将に昇進する。著雍侵攻戦の頃には王賁は四千人となっており、さらに関常率い千人隊増援加え五千人隊となり著雍戦を臨む。そして紫伯を討ち取り、その功で王賁五千将に昇進する鄴攻略戦では秦軍右翼活躍しさらに尭雲討ち取り将軍へと昇進一万の軍となりさらに亜光軍から三千騎を率いて亜花錦移籍したことで更なる活躍をする。龍指(りゅうし撓る様な軌道を突く王賁槍術一つ龍巣りゅうそう) 目に留まらない速さ突き続け王賁槍術一つ楽華隊(がくかたい) 蒙恬率い特殊部隊で胡漸、陸仙を副長としている。韓侵攻戦で蒙恬千人となった祖父蒙驁により三百人隊に留め置かれる山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員戦後正式に千人隊として認可される対合従軍戦で蒙恬臨時五千人の指揮任され戦後二千将に昇進嬴政加冠編後の時点では四千人となっている。鄴攻略戦の時点では五千人将となっており、開戦初日秦軍左翼危機救ったことで臨時将軍任命されるその後蒙恬親代わり副長の胡漸を失うが、戦後正式に将軍へと昇進一万の軍となりさらに蒙武軍から剛将愛閃移籍したことで更なる活躍をする。 後宮(こうきゅう) 秦において三千人を超える宮女宦官から成る城で、宮女のほとんどが名家出であることから、それらを束ねたならば絶大な力を要するとされる呂不韋でさえ手を出しあぐねる強大な勢力であり、政陣営呂氏陣営争いにも不干渉貫いていた。しかし、実際長の太后呂不韋手を結んでおり、裏から支援していた。 三大宮家さんだいみやけ) 太后の下で後宮仕切る侍女後ろ盾となっている実力者。氾家、介家、了家の三氏。 宦官(かんがん) 去勢した官吏男子禁制後宮唯一出入り認められている男性官吏であり、一様に縦に開いた覆面被っている。

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発音(?)

熟語


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