西山朝とは? わかりやすく解説

せいざん‐ちょう〔‐テウ〕【西山朝】

読み方:せいざんちょう

18世紀末ベトナム王朝1778年西山党の阮(げん)氏が黎(れい)朝を滅ぼして建てたが、1802年フランス軍援助受けた黎朝一族阮福映滅ぼされた。タイソン朝


西山朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 05:33 UTC 版)

西山朝(せいざんちょう、タイソンちょう、ベトナム語Nhà Tây Sơn / 茹西山)は、1778年から1802年の間、ベトナム史に存在した王朝。この期間の一連の出来事は西山(タイソン)党の乱とも呼ばれる。


  1. ^ クアン・チュン博物館の像では、阮侶の称号は「東定王」となっている。
  2. ^ 乾隆帝の十全武功におけるベトナム遠征軍のこと。


「西山朝」の続きの解説一覧

西山朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 08:17 UTC 版)

ベトナムの歴史」の記事における「西山朝」の解説

1786年 - 1802年詳細は 西山朝(タイソン朝, 西山阮氏, 阮氏大越国, Nhà Tây Sơn)を参照

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西山朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:11 UTC 版)

鎮 (ベトナム)」の記事における「西山朝」の解説

西山朝は黎朝区割継承して14鎮はそのままにし、鎮の上機関として北城(城)を設け皇室近親者北城の総鎮を務めることで諸鎮を統轄した

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