秦河勝
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秦 河勝(はた の かわかつ)は、秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされる。姓は造。秦国勝の子とする系図がある(古墳時代から飛鳥時代)。冠位は大仁(『上宮聖徳太子傳補闕記』によると小徳) [1]。『朝野群載』巻三には「大花上」とある。
注釈
- ^ 宗本
出典
- ^ a b c 「秦氏系図[1]」『山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記』所収
- ^ 『新撰姓氏録』左京諸蕃
- ^ 『上宮聖徳太子傳補闕記』「太子亦誓放四天王之矢。即中賊首大連胸倒而墜樹」
- ^ 『日本書紀』推古天皇18年10月9日条
- ^ a b 『日本書紀』皇極天皇3年7月条
- ^ 加藤謙吉『秦氏とその民 渡来氏族の実像』(白水社、 1998年)
- ^ 世阿弥『風姿花伝』第4、神儀云 (沼 (1979), p. 50)
- ^ 林羅山『本朝神社考』5; 『和漢三才図会』72 (青木 (1985), p. 5)
- ^ 松本正造『聖徳太子伝図会』文盛堂、1887年、秦河勝出生、106頁
- ^ 高木敏雄『日本神話物語』服部書店、1911年、秦河勝、191頁
- ^ 服部幸雄『宿神論―日本芸能民信仰の研究』(岩波書店、2009年)p.47,58 ISBN 978-4-000-23459-7
- ^ 川村湊『闇の摩多羅神― 変幻する異神の謎を追う』(河出書房新社、2008年)
- ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』
- ^ 『駿国雑志』。尊良を河勝の次男とした書物も残されているが詳細不明。
- ^ 『地下家伝』
- 1 秦河勝とは
- 2 秦河勝の概要
- 3 河勝の丁未の乱参戦
- 4 芸能の神
秦 河勝(はたの かわかつ)
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「ムシブギョー」の記事における「秦 河勝(はたの かわかつ)」の解説
千年以上前の太古の時代に生きた、6世紀大和朝廷に仕える廷臣である秦家の豪族。蟲狩の祖先にあたる人物。
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