秦・漢とは? わかりやすく解説

秦漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:08 UTC 版)

秦漢(しんかん)とは、古代中国に成立した2つの王朝を合わせた呼称。秦漢帝国とも称せられる。




「秦漢」の続きの解説一覧

秦・漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:04 UTC 版)

北伐」の記事における「秦・漢」の解説

蒙恬北伐(前214年)、秦の蒙恬による匈奴に対する軍事行動項梁北伐(前208年)、項梁による秦に対す軍事行動項梁は、秦の章邯敗北し斬首された。「定陶の戦い」を参照 項羽北伐(前207年)、項羽項梁の甥)による秦に対す軍事行動。秦の章邯鉅鹿大敗喫し投降した。「鉅鹿の戦い」を参照 漢の武帝北伐(前133年~前119年)、漢の武帝による匈奴に対する軍事行動。「漢の対匈奴戦争中国語版英語版)」を参照 漢の宣帝北伐(前103年~前71年)、漢の宣帝による匈奴に対する軍事行動。漢は烏孫烏桓協力の下、匈奴撃破した

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秦・漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)

中国の貨幣制度史」の記事における「秦・漢」の解説

秦の始皇帝中国をはじめて統一すると、貨幣についても統一進んだ各地でばらばらの貨幣使われていた状況改め、秦で使われていた圜銭の形に硬貨統一すすめた始皇帝珠玉や貝や銀は宝として保蔵すべきで、貨幣ではないとした。『史記平準書には、「珠玉亀貝銀錫の属は、器飾宝蔵為し、幣と為さず」とある。以降東アジアでは、一般に流通する貨幣に、金貨銀貨用いられず(存在しないわけではない)、銅貨中心となった。秦が統一前から発行していた半両銭中心の穴が正方形であり、以降東アジア銭貨形状円形中心の穴が正方形のものが基本となった半両銭には半両という漢字刻まれており、半両の両とは重さの単位指し12銖(約8グラム)にあたる。秦は金布律という法律貨幣財物について規定し政府発行貨幣を行銭と呼びそれ以外を盗鋳銭として禁止した。また通銭という規定によって国外貨幣流通禁じた。漢は劉邦時代にはとの戦争中造幣力がなかったため、民間銅貨発行許可して半両銭普及すすんだ。漢は秦の法律や行政を基本的に引き継ぎ金布律加えて銭律も定められた。秦から漢の時代にかけては、以下の貨幣が主に使われた。 金貨銀貨高額贈与用である秤量貨幣で、皇帝王侯、高級官吏使った。金餅や馬蹄金などの形態があった。後漢時代には銀または銀の合金白金呼び秤量貨幣として使われた。金貨は1斤(20両)と1両(約15.6グラム)を単位として楕円形方形作られ銀貨は1流(8両)を単位とした。 布:布帛呼ばれる高額取り引き保蔵用で、金1両=布1尺(1匹=40尺)にあたる。農村中心として生産されて、物品貨幣として流通した交換手段として、布や穀物などの物品貨幣使われた。桑弘羊均輸法によって絹が増産され、シルクロード貿易物品貨幣にもなった。 銅貨:秦は半両銭、漢は五銖銭発行した贈与用としては軍人への褒賞や徒民への賜与官吏退職使われた。 鉄貨不足した湖北湖南地域では鉄貨私鋳されていた。 前漢呂后時期には、半両銭重く不便という理由により、銭(ゆきょうせん)と呼ばれる軽薄な銭貨発行した銭の重さは1銖のものもあった。文帝時期には銭の私鋳禁じ法律廃止したが、これにより資産家による軽薄な私鋳銭濫造され、銭の価値暴落したあわせて文帝四銖銭発行開始し、呉王劉濞鄧通四銖銭大量に発行して銭貨流通拡大した景帝は再び私鋳禁じたが、禁令破って銭を発行する者は後を絶たなかった。 前漢財政は、帝室財政政府財政分かれており、それぞれ収入支出が別であった武帝の時代からは匈奴との戦いで国家財政窮乏し帝室財政による補填で禁銭(皇帝の銭)が不足した対策として、帝室財政白金と皮幣(中国語版)という貨幣発行し国家財政は塩とを税から切り離して専売にした。白金銀貨であったが錫や鉛も含み、皮幣は白鹿の皮で作られ、ともに素材比価よりも高い価値設定された。白金帝室財政多大な貨幣発行益もたらしたので、改鋳益のない銅貨発行する余裕生まれた。そこで武帝半両銭代わり、重い銅貨として五銖銭発行した五銖銭には五銖という文字刻まれ重さもその名の通り5銖あったので流通安定し一時期除いて唐の初頭まで使われた。また帝室財政負担かけないように、各地方の郡国で発行させた。武帝私鋳厳しく取り締まったので、民間による鋳造収まった。塩専売商人出身財政家である桑弘羊によって運営され莫大な利益をあげ、以後中国財政収入でも重要となった桑弘羊物価調整均輸法物価安定を行う平準法なども定めたまた、商工業者には財産税(船,車,在庫,生産設備)の算緡銭(さんびんせん)を課して脱税行為密告奨励した秦・漢代金融 高利貸紀元前5世紀から3世紀盛んになり、利子子銭や息銭と呼び高利貸子銭家や称貸家呼んだ利率年利33%(1/3)や月利3.7%(1/27)など3分の数が多かった契約の履行については古代から記録があり、秦の法律では、負債者は債務(責)を償還(賞)すべきことが定められていた。漢の時代には、土地商品奴隷に関する契約書残されており、役所用の債務証書記録がある。共同出資としては、資本持ち寄って商業を行う合銭共買の記録前漢にある。 秦・漢代貿易貨幣 貿易決済には金銀使われ陸路西域での貿易や、広東中心とする南海では金貨銀貨流通した西域呼ばれた中央アジアでは、中国からの輸出品は絹と鉄器銅器中心となった前漢桑弘羊政策によって絹の徴集年間500匹にのぼり、貿易では物品貨幣としても使われた。絹の産地である河東河南・剣南道から中央アジアには庸調の絹が送られ、漢の時代からソグド人貿易参加した

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秦漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/09 09:53 UTC 版)

郡守」の記事における「秦漢」の解説

中国では、秦代に郡の民政担当する長官郡守といった。郡守と、軍事担当する郡尉、監察担当する郡監の3人が郡の統治頂点にあった。漢も郡守踏襲したが、景帝2年紀元前155年)に太守改称した

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秦漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:48 UTC 版)

法家」の記事における「秦漢」の解説

中国統一果たした始皇帝も、宰相として李斯登用し法家思想による統治実施したしかしながら、秦において法が厳格すぎたがゆえのエピソードとして以下のものがある。 新法改革をした商鞅は反商鞅派によって王に讒訴されて謀反罪を着せられた際には、都から逃亡し途中で宿に泊まろうとしたが、宿の亭主商鞅である事を知らず商鞅さまの厳命により、旅券持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております」と断られた(商鞅逃亡の末、秦に殺害された)。 燕の使者である荊軻隠していた匕首秦王の政(後の始皇帝)を殿上暗殺しようとした際には、秦王慌てて腰の剣が抜けない中で匕首持った荊軻追い回されていたが、臣下秦王殿上武器持って上がることは法により死罪とされていたため対応に難儀した最終的に御殿医荊軻薬箱投げつけ、怯んだ隙に秦王が腰の剣を抜き荊軻斬り殺した)。 辺境守備のために徴発され農民900名は天候悪化のために期日までの到着見込めなかったが、いかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首であった史記書かれている(これが秦を滅ぼす戦乱きっかけとなる陳勝・呉広の乱要因となった)。 法家思想は、秦が滅びた後の漢王朝歴代王朝にも、表立って掲げないものの受け継がれていった前漢において高祖劉邦当初法三章として法を簡素化していたが、国家運営支障出たために丞相蕭何が秦の法の中から時勢かなったものを選んで九章律定めた)。とりわけ漢代初期には、法家道家混ざったような黄老思想流行したまた、李斯孫弟子にあたる賈誼著作には、儒家思想とりわけ荀子』の礼思想)と混ざった形での法家思想説かれている。 20世紀以降、秦の法制まつわる新出文献複数発見された。例えば、1975年の『睡虎地秦簡』、2002年の『里耶秦簡』などがある(中国法制史参照)。

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