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いん 【殷】

中国古代王朝史記によると、湯(とう)王が夏(か)王朝の桀(けつ)王を倒して建てたといわれる紀元前一一世紀頃、第三〇代紂(ちゆう)王のとき、周の武王に滅ぼされた。黄河中流域支配する部族国家で、卜占(ぼくせん)によって祭政を行なった。商。

殷墟(いんきよ)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/05 08:41 UTC 版)

紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年
殷の位置
公用語 中国語
首都 殷墟
紀元前17世紀 - ? 成湯
? - 紀元前1046年 帝辛
変遷
夏から殷へ 紀元前17世紀
周の反乱により滅亡 紀元前1046年
中国の歴史
元謀藍田北京原人
神話伝説三皇五帝
黄河長江遼河文明
西周
東周 春秋
戦国
前漢
後漢
三国
西晋
東晋 十六国
南北朝 北魏
西魏 東魏
北周 北斉
 
 
五代十国
北宋 西夏
南宋
北元
後金  
満洲 中華民国
 
中華人民共和国 中華民国
台湾
* 中国の歴史年表
* 朝鮮半島を中国とみなす記述
Portal:中国

(いん、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は、中国王朝である。文献には夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている最古の王朝である[1]。最終的に紀元前11世紀に滅ぼされた。(しょう)とも言われる。

目次

名称

「殷」とは周などによって使われた他称であり、『史記』では一貫して殷である。一方、商が自称であるという見方も成り立つことから、現在の中国ではほぼ「商」もしくは「商殷」と呼ばれる。商の名前は『通志』などで殷王朝の祖・が商に封じられたとあるのに由来するとされ[2]殷墟甲骨文から都を商または大邑商と呼んでいる事例は確認されており、周は殷の都を商邑と呼んでいる。しかし、確定的な解釈があるわけではない。なお『尚書』では「商」が使われている。

氏姓

王家の姓は「子」であったといわれているが、殷では王族を子鄭、子商などと称し、これは「子」字に領地と思しき地名を付しているようで、おそらくこれを姓と誤解したのではと考えられている。姓は「好」との説もある。

考古学的比定

甲骨文字研究

20世紀初頭まで、殷は伝説上の王朝とされていた。特に19世紀末期の中国古代史界では疑古派と呼ばれる『過去の記録を疑う』方針の考えが強く、『史記』の記述も全て架空と考えられていた。その後、甲骨文字(亀甲獣骨文字)の研究が始まり、発見された甲骨に、『史記』の記述とほぼ一致する対応関係が見られたため、殷の実在性が疑いのないものとなった[3]

二里岡文化

考古学の進展により、二里岡文化紀元前1600年頃 - 紀元前1400年頃)を殷と同定するのが通説である[4]。鄭州付近を商(殷)王朝の初期の中心地と考えており、二里岡文化を商王朝の初期段階ととらえている。

歴史

以下、史書に基づく。

創業以前

伝説上、殷王朝の始祖は契とされている。契は、有娀氏の娘で帝の次妃であった簡狄が玄鳥の卵を食べたために生んだ子とされている。契は帝のときにの治水を援けた功績が認められ、帝舜により商に封じられ子姓を賜った。

その後、契の子孫は代々夏王朝に仕えた。また、契から天乙(湯)までの14代の間に8回都を移したという。

  1. (始祖)
  2. 昭明 - 契の子
  3. 相土 - 昭明の子
  4. 昌若 - 相土の子
  5. 曹圉 - 昌若の子
  6. 冥 - 曹圉の子
  7. 王亥(高祖) - 冥の子
  8. 王恆 - 王亥の弟
  9. 上甲微 - 王亥の子
  10. 報丁 - 上甲微の子
  11. 報乙 - 報丁の子
  12. 報丙 - 報乙の子
  13. 主壬 - 報丙の子
  14. 主癸 - 主壬の子
  15. 天乙(湯) - 主癸の子

歴代の治世

契から数えて13代目の天乙(湯)は、亳(現在の河南省商丘市)に都していた。湯は賢人伊尹の助けを借りて夏王を倒し、諸侯に推挙されて王となった。

殷の4代目の王太甲は、暴君であったために伊尹に追放された。後に太甲が反省したので、伊尹は許した。後、太甲は善政を敷き太宗と称された。

雍己の時に、王朝は一旦衰えた。王雍己の次の王太戊は賢人伊陟を任用し、善政に努めた。殷王朝は復興した。王太戊の功績を称えて、王太戊は中宗と称された。

中宗の死後、王朝は再び衰えた。王祖乙は、賢人巫賢を任用し、善政に勤めた。殷王朝は復興した。

王祖乙の死後、再び王朝は衰えた。王盤庚は殷墟に遷都し、湯の頃の善政を復活させた。

盤庚の死後、再び王朝は衰えた。王武丁は賢人傅説を任用し、殷王朝の中興を果たした。王武丁の功績を称えて、王武丁は高宗と称された。

高宗以降の王は概ね暗愚な暴君であった。殷王朝最後の帝辛(紂王)は即位後、妲己という美女に溺れ、暴政を行った。そのため、周の武王に誅された。そして、殷王朝はあっけなく滅亡した。

滅亡後

紂王の子である武庚は、周の武王に殷の故地に封じられた。武王の死後、武庚は、武王の兄弟とともに反乱を起こしたが失敗し、誅殺された。その後、禄父(武庚)の伯父の微子啓(紂王の兄)がに封じられ、殷王朝の祭祀を続けた。微子啓には嫡子が無かったため、同じく紂王の兄の微仲衍が宋公を継ぐ。異説もあるが、その微仲衍の子孫が孔子とされ、その後の孔子の家系は世界最長の家系として現在まで続いている。

紂王の叔父箕子は朝鮮半島に渡り箕子朝鮮を建国したと中華人民共和国では主張されているが、中国人によって朝鮮が建国されたことになってしまうため、大韓民国側は檀君朝鮮こそ初の朝鮮王朝であり箕子朝鮮は単なる後世の創作であると主張している。

商人という言葉は、商(殷)人が国の滅亡した後の生業として、各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来する。店舗を持たず、各地を渡り歩いて物を売っていた人間を、人々が「あれは商の人間だ」と言っていたことから「商人」という言葉が生まれた。こういった説があるが、白川静は「商に商業・商賈の意があるのは、亡殷の余裔が、国亡んでのち行商に従ったからであるとする説もあるが、商には賞の意があり、代償・償贖(とく)のために賞が行なわれるようになり、のちにそのことが形式化して、商行為を意味するものとなったものと思われる」と否定している。

滅亡年について

周が殷を滅ぼしたのは具体的に何年の出来事かを推定する作業が進められている。中国の夏商周年表プロジェクトはこの出来事を紀元前1046年であるとした。

古い説では『竹書紀年』に武王から幽王(西周最後の王)まで257年という記述があり、幽王が死んだのが紀元前771年のことなので殷が亡んだのは紀元前1027年の出来事となる。また『漢書』には周は867年続いたという記述があり、これからは紀元前1123年の出来事となる。

それ以外にも多数の説があり、殷滅亡を一番古い時代に置くのは紀元前1127年、最も新しい時代では紀元前1018年となっている。


  1. ^ 殷は夷(漢民族から見ての異民族)であり、最古の中国の王朝と言えるのは周からであるという説もある[要出典]
  2. ^ 『図説 中国文明史2 文明の原点』創元社、2007年、pp.6-7.
  3. ^ 松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』講談社、1985年、57頁
  4. ^ 松丸道雄・永田英正『中国文明の成立』講談社、1985年、14頁
  5. ^ 『図説 中国文明史2 殷周 文明の原点』 稲畑耕一郎:監修 株式会社創元社 2007年


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