王太子として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:48 UTC 版)
「ムハンマド・ビン・サルマーン」の記事における「王太子として」の解説
2017年6月、サルマーン国王の勅命によりムハンマド・ビン・ナーイフ王太子が解任され、ムハンマドが王太子に昇格し王位継承者となった。同時に第一副首相となり、国防相などのポストは継続する。また、同時期、2017年カタール外交危機が起き、サウジアラビアはカタールと国交断絶した。 2017年10月24日、リヤドで開かれた経済フォーラムに台臨。フォーラムの演説の中で、過激なイデオロギーを倒して「より穏健なイスラム」に立ち返る政治方針を示した。 サウジアラビアを支えてきた石油資源に依存しない経済・社会を目指した改革を進めている。生活や仕事は夜型で、午前0時過ぎに省庁幹部の携帯電話を鳴らして、業務の進捗を問うこともしばしばあるという。 2017年11月、ムハンマドが率いる反汚職委員会が、ムトイブ王子(国家警備相)やアルワーリド王子ら王子11人を含む複数の閣僚経験者を逮捕した。表向きは汚職容疑であるがムハンマドが志向する急進的な改革に対する抵抗勢力を潰すためであると観測された。 2018年3月のアメリカ合衆国訪問を前に米CBSテレビとのインタビューに応じ、「サウジアラビアは核爆弾を持つことを望んでいないが、イランが核兵器を開発すれば、それに従うことになる」と語った。 2018年10月、ジャーナリストのジャマル・カショギがトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館に入館後に行方不明になっている事件に関連し、トルコ政府は「カショギがサウジアラビア領事館の中で殺害されたという証拠を持っている」と述べた。なお、オンラインニュースサイトの「ミドル・イースト・アイ」は、ムハンマド・ビン・サルマーン王太子のボディガードが実行犯であると報じている。 2018年11月16日、米紙ワシントン・ポストは消息筋の話として、米中央情報局(CIA)はカショギ殺害事件の黒幕はムハンマド・ビン・サルマン王太子だと結論付けたと報じた。 2019年2月、パキスタンと中国を訪問し、パキスタンを訪れたムハンマドは一帯一路構想による開発が進むグワーダルの製油所建設などの合意書に署名し、訪中の際はテロとの戦いに必要な中国の措置を支持すると述べて新疆ウイグル自治区での人権弾圧を容認するものとして物議を醸した。同年7月の国際連合人権理事会では日本などの22カ国が中国の新疆ウイグル再教育キャンプなどを非難した共同書簡に対抗して中国を擁護する書簡を公開したロシア、シリア、イラン、カタールなどの50カ国にサウジも加わった。また、サウジアラビアの主導するイスラム協力機構もムスリムに対する中国の措置への「称賛」を表明した。 2019年6月26日、「ムハンマドが、サウジ政府に批判的な同国の記者カショギ氏殺害を指示した確かな証拠がある」と、国連人権理事会で報告された。 2020年3月6日、OPECプラスの会合で追加減産を拒否したロシアと対立したサウジアラビアのエネルギー相であるアブドゥルアズィーズ・ビン・サルマン・アール=サウード王子は「今日という日を後悔するだろう」と述べて増産を表明して1991年の湾岸戦争以来最大の原油価格の暴落を引き起こし、「石油価格戦争」「原油価格戦争」と呼ばれる様相を呈した。アメリカのインターナショナル・オイル・デーリー紙などはアブドルアジズ・エネルギー相に「もっと強烈な減産強化策を出せ。ロシアが反対したら、こちらの減産も打ち止めにする」と指示したムハンマド・ビン・サルマン王太子の意向と報じられたが、翌4月に新型コロナウイルス感染症の流行による原油市場の低迷の影響もあってOPECプラスは減産で合意した。
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