内閣法第九条の第一順位指定大臣
別名:内閣法第9条の第1順位指定大臣、副総理、副首相
内閣総理大臣に事故があった場合、または出張などで不在にする場合などに、首相代理として臨時にその職務を行うよう指定されている国務大臣。一般的には「副総理」の呼称が用いられている。位置づけは副首相に等しい。
内閣法の第九条は次のような規定となっており、これが内閣法第九条の第一順位指定大臣を指定する根拠となっている。
内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。内閣法第九条の第一順位指定大臣は、緊急時すなわち内閣総理大臣を欠く機会がなければ、内閣総理大臣に相当する権限を行使することはできない。「総理に次ぐポスト」という象徴的な意味合いにおいて認識される場合もある。
臨時に内閣総理大臣の職務を遂行する副首相の立場は、「第一順位指定大臣」を筆頭に第五位まで定められている。
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣では、麻生太郎・第92代内閣総理大臣が、内閣法第九条の第一順位指定大臣に任命されている。なお麻生太郎は、第2次安倍内閣では財務大臣、金融担当大臣を兼務する。
関連サイト:
内閣法 - e-Gov
副首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 02:11 UTC 版)
副首相(ふくしゅしょう、英語: Deputy Prime Minister・Vice Prime Minister[1])は、内閣を構成する大臣の役職のひとつ。
- ^ オーストラリアとカナダの州政府における副首相はDeputy Premierという。
- ^ 日本には、法的に副首相という官職は存在しない。但し、必要に応じて、有力な国務大臣に対して(内閣総理大臣臨時代理就任予定者に事前指定する等の手段で)事実上の副首相格の処遇を与えることがあり、これを副総理と呼称した。
- 1 副首相とは
- 2 副首相の概要
副首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:37 UTC 版)
「ナラーティップポンプラパン」の記事における「副首相」の解説
1959年には一連の軍事政権、サリット政権、タノーム(英語版)政権下では副首相に任命される一方で1971年までタンマサート大学の学長をつとめた。このほかコロンビア大学の名誉教授なども務めた。また、憲法、革命、クーデターなどのタイ語における語彙を作り出した人物でもある。
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副首相
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詳細は「イギリスの副首相」を参照 副首相 (Deputy Prime Minister) の称号は、政府における上級大臣の一人で、与党の副党首や連立内閣における少数政党の党首に与えられることがある。副首相は時に他の役職を兼ねるが、その所管事項は状況により様々である。例えば、2010年の保守党・自由民主党連立内閣では、副首相は、枢密院議長の役割を兼ねるとともに、政治・憲法改革を所管していた。
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副首相
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アウクスブルク出身。ライン河下流のノルトライン=ヴェストファーレン州アッペルドルン(現カルカー市と合併)で育つ。1965年アビトゥア(大学入学資格)を取得。兵役でドイツ連邦軍に入営し、空挺部隊に所属、予備役士官になる。兵役を終えた後、1966年ミュンスター教育大学でドイツ文学、歴史学、スポーツ学を学ぶ。1971年に小学校及び中学校の教員資格を取得。1978年にフリック・コンツェルンに勤務。1993年からは自らの貿易コンサルタント会社を経営している。 これに先立ち、1962年にキリスト教民主同盟(CDU)に入党していたが、1969年離党。翌1970年自由民主党(FDP)に入党する。1972年ドイツ連邦議会選挙に地元ノルトライン・ヴェストファーレン州で出馬して初当選し、2000年まで議席を維持。1975年に党のノルトライン=ヴェストファーレン州代表委員の一員となる。1981年、FDP連邦幹事会入り。1982年には州の党副代表。翌1983年には州代表に就任。 1982年10月、連邦政府でのCDU・FDP連立によるヘルムート・コール政権の成立に伴い、FDPの先輩にあたるハンス・ディートリヒ・ゲンシャー外相により外務政務次官に任命される。1987年の連邦議会選挙後、第3次コール政権に教育・研究相として初入閣。続く1990年の連邦議会選挙後に第4次コール政権に経済相として入閣。1992年にゲンシャーが引退すると、その後任として5月18日に連邦副首相に任命された。しかし義理の兄弟のビジネスに経済省の公式封筒や便箋を使わせたとして職権濫用の責めを受け、1993年1月21日に副首相と経済相を辞職した。副首相の地位は同じFDPのクラウス・キンケル外相が引き継いだ。
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副首相(2020年 - 2022年)
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「レオ・バラッカー」の記事における「副首相(2020年 - 2022年)」の解説
2020年6月26日、統一アイルランド党、フィアナ・フォイル - 共和党、緑の党が連立政権を組むことで合意したことが発表され、アイルランドの主要2党が一緒に政権を組むのは初めてのこととなった。合意の一環として、共和党党首であるミホル・マーティンは2022年12月まで首相となり、バラッカーは副首相となる。約2年半後に後者は再び首相となる予定。マーティンは、6月27日に国民議会の下院(ドイル・エアラン)によって首相として選出され、バラッカーを企業・貿易・雇用大臣および副首相に任命された。
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副首相
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「サリム・アリヨウ・イブロウ」の記事における「副首相」の解説
2004年11月3日、ソマリア暫定連邦政府初めての首相にアリー・ムハンマド・ゲーディが指名され、イブロウは副首相に任命される。2005年3月31日、アリー・ムハンマド首相と共に、副首相兼財務大臣としてリビアを訪問。 2007年1月29日、連邦議会議長選に出るため、財務大臣兼第3副首相を辞任。
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副首相
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詳細は「インドの副首相(英語版)」を参照 インドにおける副首相の役職は、厳密には憲法に規定されているものではなく、議会の議決によって言及されているものでもない。しかし、歴史的に、多くの場合で、政権ごとに上位の大臣の一人が副首相として割り当てられている。憲法の規定に副首相の任命要件はなく、特別な権限を与えられているわけでもない。通常は、財務大臣(英語版)や内務大臣(英語版)といった上位の大臣が副首相に任命される。副首相は首相の次に上位と見なされ、首相が不在の際には、副首相が代理になる。一般に、副首相は連立政権の強化のために任命されている。 最初に副首相に就いた人物は、ヴァッラブバーイー・パテールであり、ジャワハルラール・ネルー内閣で内務大臣を務めた。
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「副首相」の例文・使い方・用例・文例
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