後秦
後秦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:19 UTC 版)
柴壁の戦いの後も、後秦と北魏は衝突するが、この戦いにおける両国の力関係の逆転は明らかであった。ただし両国共に決め手に欠けたため、407年に関係を改善している。ただし後秦の衰退はこの柴壁の戦いを契機として始まり、407年6月には夏が、409年7月には西秦がそれぞれ自立し、さらに後仇池の圧迫と東晋の劉裕による圧力を受けて国勢は急速に衰えた。
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