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三省堂 大辞林

三省堂三省堂

ぜん 1 0 【禅】

(1)〔仏〕〔梵 dhyāna古くからインド行われる修行方法で、精神一つ対象集中し、その真の姿を知ろうとすること。静慮(じようりよ)禅定(ぜんじよう)

(2)禅宗」の略。
(3)禅宗教義修行方法全般のこと。
(4)座禅」の略。


スパ用語集

スパファインダージャパンスパファインダージャパン

禅 zen

古代中国起源とする日本教えで、悟りへの唯一の道は自らの根本的気質にのみ集中することによる直接的直感的洞察であるという考えに基づく。


剣道用語辞典

たのもうや@武道具店たのもうや@武道具店

禅(ぜん)

禅とは梵語のジュハーナ(禅那)ということ沈思黙考のことだそうであるが、今では「無」の境地に入る修行法をさしている。
私共は禅といえば座禅であり、何日間も結跏趺座(けつかふざ)して行ずるものと思っていたが、禅には久米平内がいうように座禅掛け禅、仁王禅があり、椅子かけても仁王様のように立ち上がってもその中に禅があると教えられている。さらに普家(ふけ)禅、吹(すい)禅というような尺八禅もある。

宮本武蔵は、「見よいかに加茂競馬の駒くらべ、駈け返す座禅なりけり」とよんで馬に乗って駈け廻るのも禅だといっているが、これ言うなれば一種の動禅であり、何をやってもいかなる方法以ってしても「無」の境地になり切ればそれは皆禅である。

剣道結局一生懸命にやっても「無」の境地達すれば武蔵流にいえばあきらかに動禅である。座禅公案もなくても剣によって生死超越妙境達すれば、それは明らかに禅であり剣禅一致妙境というべきであろう


ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/04 13:04 UTC 版)

(ぜん)は大乗仏教の一派[1]であり、南インド出身の達磨が中国に入り教えを伝えて成立したとされている。 中国禅はからにかけて発展したが、の時代に入ると衰退していった。 日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、室町時代幕府の庇護の下で発展した。明治維新以降は、日本の禅が世界に伝えられた。

目次

概要

単に「禅」という場合は一般に禅宗[2]を指すが、文脈や場合によって禅那[3]を指す。

不立文字[4]を原則とするため中心的経典を立てず、教外別伝[5]を原則とするため師資相承[6]を重視し、そのための臨機応変[7]な以心伝心の方便など、種々の特徴をもつ宗派である。

坐禅を基本的な修行形態とするが、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が禅宗と呼称され始めたのは中国の唐代末期からである。後に、禅宗発祥に伴ってその起源を求める声が高まり、初祖とされたのが達磨である。達磨のもたらした禅は部派仏教における禅とは異なり、了義[8]大乗の禅である。

言葉の由来

サンスクリット: ध्यान(Dhyānaディヤーナ)、パーリ語:Dhyāna(Jhāna、ジャーナ )が中国で音写され禅那(ゼンナ)、禅(ゼン)になった。正体字: 漢字制限当用漢字常用漢字)以後は現表記が多く用いられる。現代北京語の発音はチャン(chan2)である(禅譲の「禅」とは意味と発音が異なる)。

漢訳仏典には駄衍那(だえんな)・持阿那(じあな)と音写している例もある。

他の訳に、思惟修(しゆいしゅう)・静慮(じょうりょ)・棄悪[9]・功徳叢林[10]・念修[11]

『禅』の字義は天・山川を祀る、譲り与える、開くといったものであった。これに「心の働きを集中させる」という語釈を与えて禅となし、「心を静かにして動揺させない」という語釈を与えて定とし、禅定とする語義が作られた。

圭峰宗密の著書禅源諸詮集都序には、禅の根元は仏性にあるとし、仏性を悟るのが智慧であり、智慧を修するのが定であり、禅那はこれを併せていうとある。また、達磨が伝えた宗旨のみが真実の禅那に相応するから禅宗と名付けた、ともある。

中国では禅定が同義語。類似の概念として三昧(Samādhi、サンスクリット)がある。「禅」あるいは「定」という概念は、インドにその起源を持ち、それが指す瞑想体験は、仏教が成立した時から重要な意義が与えられていた。ゴータマ・シッダッタも禅定によって悟りを開いたとされ、部派仏教においては「三学」(戒・定・慧)の一つとして、また、大乗仏教においては「六波羅蜜」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきた。

ディヤーナを現代語で和訳すると瞑想となる。ちなみにヨーガ(yoga)も意訳すれば瞑想とされる(音訳は瑜伽)が、本来は心を調御して統一に導くことをいう。瞑想は動作を言葉で説明する事ができるが、禅は不立文字を強調するため、瞑想と禅は異なる物として区別される。

伝説時代から達磨大師までの禅の歴史

禅宗では釈迦法嗣を次のように伝えている。

釈迦摩訶迦葉阿難陀-商那和修-優婆毬多-提多迦-彌遮迦-婆須密多-仏陀難提-伏駄密多-波栗濕縛-富那夜奢-阿那菩底-迦毘摩羅-那伽閼刺樹那-伽那提婆-羅睺羅多-僧伽難提-伽耶舎多-鳩摩羅多-闍夜多-婆修盤頭-摩拏羅-鶴勒那-獅子菩提-婆舎斯多-不如密多-般若多羅-菩提達磨

マハーカーシャパ(摩訶迦葉)はバラモン階級出身の弟子で、釈迦法嗣とされる(法の継承者)。拈華微笑といわれている伝説が宋代の禅籍『無門関』に伝わる。

世尊、昔霊山(霊鷲山、グリドラクータ)会上に在りて、花を拈(ひね)りて衆に示す。是の時衆皆な黙然として、惟だ迦葉尊者のみ破顔して微笑す。
世尊云「吾に、正しき法眼の蔵にして涅槃の妙心(正法眼蔵・涅槃妙心)、実相・無相・微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し(不立文字・教外別伝)、摩訶迦葉に付嘱す」と。

『無門関』第一巻(世尊拈華)

二十八祖ボーディダルマ(菩提達磨)(南インド出身)が中国に入り、禅の教えを伝えたとされる。 達磨は中国禅の始祖となった。


  1. ^ 本来、大乗仏教は一切衆生の仏道成就という一つの目的を共有する大きなひとまとまりのものであり、仏祖が様々に教えた中の一つを取り上げてことさら禅宗と称して一派に細分化すべきではないのであるが、敢えて分化して説明するならば本項のようになる。
  2. ^ 禅宗では自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で禅宗と自称する。
  3. ^ 禅那(ぜんな)。坐禅を組むこと。あるいは参禅すること。禅那は、仏性の存在を前提に坐禅することをいう。そのため坐禅と同じ姿勢でも仏性を前提としないものは禅那とは言えず、単なる瞑想であるとして区別する。
  4. ^ 不立文字(ふりゅうもんじ)。文字・言葉の上には真実の仏法がないというのは、仏祖の言葉は解釈によっていかようにも変わってしまうという意味であり、言語の持つ欠陥に対する注意である。悟りは文字によって得ることはできないとはいえ、沈黙によっても得ることができないとされるため、一切の説明を行わないということはなく、臨機応変な方便として様々な方法で説かれる
  5. ^ 教外別伝(きょうげべつでん)。人格を相伝すること。文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要であるとされる。
  6. ^ 師資相承(ししそうしょう)。悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであり、それが法脈となって後世の人々を救う。生きた仏として残るため個別のケースに応じた柔軟な指導が可能となる。そのため固定の戒律を持たず、固定の修行方法を持たず、特別な本尊を定めることもなく、必ず出家しなければならないというような決まった形もない。
  7. ^ 臨機応変(りんきおうへん)。例えば、あまりに経典を大切にしすぎる人には、正法眼蔵も世尊拈華も真実の悟りから見れば寝言のようなものであるといって捨てさせたり、あまりに経典を軽んじすぎる人には読経を勧めたりといったことである。
  8. ^ 了義(りょうぎ)。解りやすく崩したり表現を変えるようなことをせず、完全・明白に説かれた教え。涅槃経四依品には、末代の人は了義によるべきであり、不了義によってはならないとある。
  9. ^ 棄悪(きあく)。心の正しき働きを覆い隠すような一切の悪を捨て去る
  10. ^ 功徳叢林(くどくそうりん)。衆徳のあつまること叢林のようである。
  11. ^ 念修(ねんしゅう)。修は習得すること。習得して得られるものは棄悪・功徳叢林である。
  12. ^ 教宗では俗人と仏とを別々のものと考えた上で仏性という言葉を使うが、禅宗では俗人も欲を除けばそのまま仏であるという意味で仏性という。全ての人がそなえていると書いたが実際は人に限らず生きとし生けるものすべてが円満に持っており、姿形は動物によって違うが仏性は平等であるとされる。ただし、このように読んで頭で理解するにとどまって体感を伴わないことを嫌うのが禅宗である。
  13. ^ 悟って如来と同じ境地に入ること。体験を経てから涅槃に至るまでの一連の流れについて頓悟漸悟あるが、人の利鈍によって早い遅いがあるにすぎない。
  14. ^ 不立文字・教外別伝(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん)。言葉や文字によらず、直に本性を指し示すこと。教宗にはない禅宗の特徴とされる。例えば、月とはこういうものだと口で言って説明するのではなく、黙って月を指さすようなものである。ところが、その指を見ても何のことかわからずに、指の長短や肌の濃淡を論じるような者のために教宗があるとする。ただし、禅宗が指すものは悟りの境地であり、教宗が指すものも悟りの境地である。それゆえ禅・教は表裏一体のものであり、禅の中に教があり、教の中に禅があるため、双方を両立するになんら矛盾はなく、特に他宗派を誹謗する者に対しては禅教の両立が推奨される。
  15. ^ 有田秀穂 東邦大学医学部生理学教授
  16. ^ 世尊拈華、迦葉微笑(せそんねんげ、かしょうみしょう)。故事。釈迦が入滅するに際し、大衆居並ぶ説法の席で一枝の蓮華を拈って見せた。みな何のことかわからず押し黙るなか、ひとりマハーカーシャパだけが微笑してうなずいた。それを見た釈迦はマハーカーシャパが悟りを開いたことを知り、我が不立文字・教外別伝の正法はあなたにゆだねると言って仏法伝授の使命を授けたというもの。
  17. ^ 到達するといっても、なにか悟りという別の境地があってそこへ向かって進むわけではなく、その境地が元々の自分(いわば出生以前の自分)であり、その境地が底なのである。
  18. ^ 外道とは仏教以外の宗教者のこと
  19. ^ 壁は、外から来る妄念から内心を守り隔てるものの例えである。のちになって、物質的な本物の壁の意味に解されたが、これは誤りであろう。(柳田聖山 達磨の語録 P51)
  20. ^ 身口意の三業(しんくいのさんごう)。みだりに殺すこと、盗むこと、犯すこと、罵ること、騙すこと、綺語を言うこと、詭弁を言うこと、貪ること、怒ること、邪なことの十悪。
  21. ^ 身口意の三業。来世の生存は業を因縁として決定する。悪業に限らず、善業であっても善果としての来世が決定してしまうため、輪廻を逃れることができない。そのため善悪そのものを離れてしまうことが重視される。そして苦楽や生死についても同様に、とらわれないことを重視する。生死にとらわれなければ、輪廻もまた消滅するので、すべてが寂滅した世界観が開ける、というような意味である。しかし、このように学んだだけで実感を伴った悟りに至る人はまれである。それゆえ禅宗では話をせず、一切を投げすてて悟りの本分に直行させるために教外別伝を行う。
  22. ^ 教宗では衆生を成仏させきってから自らが成仏するのが菩薩であるとされるが、禅宗では先に自らが成仏して如来となってから衆生を導くことを奨励する。この両者は手段が違っているだけで、衆生を済度しようという目的は同じであるため、どちらが間違っているということはない。もしこの両者について正誤にとらわれる者があるならば、彼は自分自身が小乗に陥っていないか鑑みる必要があるとされる。
  23. ^ 睡眠中も無意識ではあるが、眠りという無明が付着しているために夢を見て一喜一憂する。理法に目覚めながら目覚める対象にとらわれないのが仏である。
  24. ^ 只管打坐(しかんたざ)。真実の只管打坐は単なる無念無想や無意識というようなものではなく、意識があるでもなくないでもなく、無念でも有念でもなくて、心身が澄み渡った空のように清くありのままを映し出す鏡のように感じられるところにあるとされる。ただし、この境地すらいまだ大悟徹底ではない。しかし大悟徹底の前段階であるとして歓迎される。
  25. ^ 修証一如(しゅしょういちにょ)。坐禅は、まだ悟っていない者が修行によって悟りに到達するようなものではなく、生来的に仏性を持っている(悟っている)はずの者が改めて修行をするのであって、それは修行がそのまま悟りなのであるという意味の喝。どんな凡人・外道も本質は仏なのであって、もともと悟った仏である者が、ことさら悟りを求めて坐禅するということがあってはならない。仏が仏になることを目指すというのであれば、大乗仏教が元々仏たる性質を指摘する本意に反するからである。このように、心そのものが即そのまま仏であると教えるのは、悟り・涅槃・仏性に執着させないための方便である。
  26. ^ 心がけの良くない修行者とは、はじめから本気で仏道を求める気持ちが無く、禅僧としての名声を求めていたり、金稼ぎを目論んでいたり、他人に言い負かされたくない一心で、あるいは知識をひけらかすために経典の学習を優先し、初心者に対して褒め貶しを行うような者。
  27. ^ 心身は幻であると聞けば、諸行無常のことを言っているのだと理解するかもしれないが、大乗教では実体がないことを理由に固定観念をうち破って中道に至らせる意味で使う。水面に映った月は、実相であるとは言えないが、確かに姿を映しているように見えるから実相ではないとも言えない。有るわけでもなし無でもなし、しかし有でもあり無でもあるという中道にこそ実相があるという意味である。禅宗では、世界はこのように曖昧であるから捨て置け、坐禅せよと教える。
  28. ^ 唯識では迷妄と悟りが調和した境地を第八識、常住不滅の衆生の本心を第九識などと区別して教えた。
  29. ^ 最近のインドに復興している仏教は新しい形の仏教であるという




漢字辞典

出典:漢字辞典


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