渡来
姓 | 読み方 |
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渡来 | とく |
渡来 | とらい |
渡来 | わたき |
渡来 | わたぎ |
渡来 | わたらい |
渡来人
(渡来 から転送)
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渡来人(とらいじん)とは、古代に中国や朝鮮半島から日本に渡来した人々およびその子孫のこと[1]。縄文時代ないし弥生時代にすでに日本へ渡来した人々がいたことが窺われ、また平安時代以降も日本に渡って来た人々はいたが、歴史上特に重要な意味をもつのは4世紀末から7世紀後半に移住した渡来人である[2]。
注釈
出典
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「渡来人」[1]
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「渡来人」[2]
- ^ 横田健一「白鳳天平芸術精神史研究序説 : 群像形式と憂欝性の表現を中心として」『関西大学東西学術研究所紀要』第6巻、関西大学東西学術研究所、1973年3月、41-57頁、ISSN 02878151、NAID 120006494410。
- ^ 州浜昌利「秦氏の性格について」『法政史学= 法政史学』第11号、法政大学史学会、1958年11月、103-108頁、doi:10.15002/00011858、ISSN 0386-8893、NAID 120005626029。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「渡来人」[3]
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「渡来人」[4]
- ^ 平野邦雄『帰化人と古代国家』(吉川弘文館 2007年)pp.1-10
- ^ a b 平野邦雄『帰化人と古代国家』(吉川弘文館 2007年) p.2
渡来
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『日本書紀』応神20年(289年)九月条には、「倭漢直(やまとのあやのあたひ、東漢氏)の祖阿知使主、其の子都加使主(つかのおみ)、並びに己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」と伝わる。 『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、後漢の滅亡に際して漢の朝鮮半島における植民地帯方郡に移住し、さらに七姓の民とともに日本に渡る。『続日本紀』延暦四年(785年)六月の条によれば漢氏(東漢氏)の祖・阿智王は後漢の霊帝の曾孫で、東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので「七姓民」とともにやってきたと、阿智王の末裔氏族東漢氏出身で下総守の坂上苅田麻呂が述べた。 右衞士督從三位兼下総守坂上大忌寸苅田麻呂等上表言。臣等本是後漢靈帝之曾孫阿智王之後也。漢祚遷魏。阿智王因牛教。出行帶方。忽得寳帶瑞。其像似宮城。爰建國邑。育其人庶。後召父兄告曰。吾聞。東國有聖主。何不歸從乎。若久居此處。恐取覆滅。即携母弟迂興徳。及七姓民。歸化來朝。是則譽田天皇治天下之御世也。於是阿智王奏請曰。臣舊居在於帶方。人民男女皆有才藝。近者寓於百濟高麗之間。心懷猶豫未知去就。伏願天恩遣使追召之。乃勅遣臣八腹氏。分頭發遣。其人民男女。擧落隨使盡來。永爲公民。積年累代。以至于今。今在諸國漢人亦是其後也。臣苅田麻呂等。失先祖之王族。蒙下人之卑姓。望 。改忌寸蒙賜宿祢姓。伏願。天恩矜察。儻垂聖聽。所謂寒灰更煖。枯樹復榮也。臣苅田麻呂等。不勝至望之誠。輙奉表以聞。詔許之。坂上。内藏。平田。大藏。文。調。文部。谷。民。佐太。山口等忌寸十一姓十六人賜姓宿祢。 — 続日本紀、延暦四年六月条 『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、阿知使主は応神天皇に奏し、「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが、最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため、これを呼び寄せたい」と進言、使者を派遣してその人民を勧誘し、帰化させたとある。『新撰姓氏録』「坂上氏条逸文」には、七姓漢人(朱・李・多・皀郭・皀・段・高)等を連れてきたとある。「坂上系図」は『新撰姓氏録』第23巻を引用し、七姓について以下のように説明している。 段(古記には段光公とあり、員氏とも) - 高向村主、高向史、高向調使、評(こほり)、首、民使主首の祖。 李 - 刑部史の祖。 皀郭 - 坂合部首、佐大首の祖。 朱 - 小市、佐奈宜の祖。 多 - 檜前非調使の祖。 皀 - 大和国宇太郡佐波多村主、長幡部の祖。 高 - 檜前村主の祖。 また、阿知王は百姓漢人を招致し、その末裔には高向村主、西波多村主、平方村主、石村村主、飽波村主、危寸(きそ)村主、長野村主、俾加村主、茅沼山村主、高宮村主、大石村主、飛鳥村主、西大友村主、長田村主、錦部村主、田村村主、忍海村主、佐味村主、桑原村主、白鳥村主、額田村主、牟佐村主、田賀村主、鞍作村主、播磨村主、漢人村主、今来村主、石寸(いわれ)村主、金作村主、尾張の次角村主があるという。 大和国今来郡、のち高市郡檜前(ひのくま)郷に住んだ。民忌寸、蔵垣忌寸、蚊屋忌寸、文山口忌寸らが天平元年(729年)から高市郡司に任ぜられた。蚊屋(かや)氏には蚊屋木間がいる。 その後、摂津、参河、近江、播磨、阿波にも移住した。ほかに美濃、越前、備中、周防、讃岐、伊勢、三河、甲斐、河内、丹波、美作、備前、肥前、豊後にも住んだ。
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「渡来」の例文・使い方・用例・文例
- 仏教は538年に日本に渡来した。
- 仏教は欽明天皇の御世に我が邦に渡来した
- 仏教の渡来
- アジアからヨーロッパに渡来した、深海に住む旧世界産の大型の淡水魚
- (江戸時代),渡来した外国船の船長
- 外国から渡来した〜
- 中国から渡来した〜
- 中国から渡来した糸
- 中国渡来の糸で織った織物
- 中国から渡来した織物
- 中国渡来の織物に倣って織った織物
- 中国渡来のものをまねて作られた,色彩豊かな模様のある紙
- 江戸時代,オランダなどから渡来した鞣し革
- 百済楽という,百済から渡来した舞楽
- 朝鮮渡来の陶磁器
- 古切れという,江戸時代以前に外国から渡来した織物
- 高句麗渡来の錦
- 昔に外国から渡来したこと
- 昔に外国から渡来した品物
- 唐から渡来した,棹に反りがなく弦が5本の琵琶
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