封禅
封禅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:46 UTC 版)
第1回目の巡遊は主に東方を精力的に回った。途中の泰山にて、始皇帝は封禅の儀を行った。これは天地を祀る儀式であり、天命を受けた天子の中でも功と徳を備えた者だけが執り行う資格を持つとされ、かつて斉の桓公が行おうとして管仲が必死に止めたと伝わる。始皇帝は、自らを五徳終始思想に照らし「火」の周王朝を次いだ「水」の徳を持つ有資格者と考え、この儀式を遂行した。 しかし管仲の言を借りれば、最後に封禅を行った天子は周の成王であり、すでに500年以上の空白があった。式次第は残されておらず、始皇帝は儒者70名ほどに問うたが、その返答はばらばらで何ら参考になるものはなかった。結局始皇帝は彼らを退け、秦で行われていた祭祀を基にした独自の形式で封禅を敢行した。頂上まで車道が敷かれ、南側から登った始皇帝は山頂に碑を建て、「封」の儀式を行った。下りは北側の道を通り、隣の梁父山で「禅」の儀式を終えた。 この封禅の儀は、詳細が明らかにされなかった。排除された儒家たちは「始皇帝は暴風雨に遭った」など推測による誹謗を行ったが、儀礼の不具合を隠す目的があったとか、我流の形式であったため後に正しい方法がわかったときに有効性を否定されることを恐れたとも言われる。吉川忠夫は、始皇帝は泰山で自らの不老不死を祈る儀式も行ったため、全容を秘匿する必要があったのではとも述べた。
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