禅定
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禅定(ぜんじょう、サンスクリット語: ध्यान、dhyāna、ディヤーナ、パーリ語: झान、jhāna, ジャーナ)あるいは禅那(ぜんな)とは、仏教で心が動揺することがなくなった一定の状態を指す[1]。サンスクリット語の dhyāna の音写である禅と、訳した定の複合語で[2]、静慮とも訳される[3]。
注釈
出典
- ^ 「禅定」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2014 Britannica Japan
- ^ 総合仏教大辞典編集委員会『総合仏教大辞典 全一巻』法蔵館、2005年、620頁。ISBN 978-4831870704。
- ^ 「禅那」 - デジタル大辞泉、小学館。
- ^ a b ダライ・ラマ14世 2001, p. 104.
- ^ 藤本 2005, pp. 890–889.
- ^ 藤本 2005, pp. 890–891.
- ^ 藤本 2005, p. 890.
- ^ 藤本 2005, p. 888.
- ^ a b c ダライ・ラマ14世 2001, p. 120.
- ^ 『中部』36, 85, 100
- ^ 藤本 2005, p. 880.
- ^ 中村 334.
- ^ a b c d ダライ・ラマ14世 2001, pp. 127–128.
- ^ 「空無辺処」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 中村 2019, pp. 84–85.
- ^ 中村 2019, p. 84.
- ^ 中村 & 2019 272.
禅那
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仏教波羅蜜 十波羅蜜 布施 持戒 出離 慧 精進 忍辱 真諦 願 慈 捨 六波羅蜜 布施 持戒 忍辱 精進 禅定 慧 同色は両者に存在する項目 表・話・編・歴 詳細は「禅定」を参照 圭峰宗密の著書『禅源諸詮集都序』には、禅の根元は仏性にあるとし、仏性を悟るのが智慧であり、智慧を修するのが定であり、禅那はこれを併せていうとある。また、達磨が伝えた宗旨のみが真実の禅那に相応するから禅宗と名付けた、ともある。 類似の概念として三昧(サンスクリット: samādhi)がある。禅あるいは定という概念は、インドにその起源を持ち、それが指す瞑想体験は、仏教が成立した時から重要な意義が与えられていた。ゴータマ・シッダッタ(釈迦)も禅定によって悟りを開いたとされ、部派仏教においては三学の戒・定・慧の一つとして、また、大乗仏教においては六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の一つとして、仏道修行に欠かせないものと考えられてきた。
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