NTT関東サッカー部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 08:19 UTC 版)
タイトル
リーグ戦
- 関東サッカーリーグ[1]
- 準優勝 : 3回 (1982年、1983年、1986年)
- 埼玉県社会人サッカーリーグ1部[1]
- 優勝 : 3回 (1976年、1977年、1978年)
- 準優勝 : 2回 (1973年、1979年)
カップ戦
- 全国社会人サッカー選手権大会[1]
- 優勝 : 1回 (1981年)
- 全国地域リーグ決勝大会[1]
- 優勝 : 1回 (1986年)
- 関東社会人サッカー大会[1]
- 優勝:1回(1979年)
- 準優勝:1回(1973年)
- 埼玉県サッカー選手権[1]
- 優勝:3回(1975年、1978年、1984年)
- 埼玉県サッカー選手権大会[1]
- 優勝:2回(1996年、1997年)
- 全国電電サッカー大会[1]
- 優勝 : 1回 (1972年)
- 本社、関東、東京三社対抗サッカー大会[1]
- 優勝 : 2回 (1971年、1972年)
主な使用グラウンド
企業チーム「電電関東→NTT関東」時代(1997年まで)は、所在地の埼玉県浦和市(駒場競技場)も使用していたが、試合はむしろ川越市(川越運動公園陸上競技場)や鴻巣市(鴻巣市立陸上競技場)、大宮市(県営大宮サッカー場)、熊谷市(熊谷運動公園)、東松山市(東松山サッカー場)、深谷市(仙元山公園陸上競技場)、さらに隣県の栃木県宇都宮市(栃木県グリーンスタジアム)、千葉県(NTT千葉総合運動場)、群馬県太田市(太田市運動公園陸上競技場)などに分散して数試合ずつ行われていた。またJ2開始当初数年も同様に鴻巣市や栃木県で開催したことがある。
参考文献
- 川本, 梅花 (2009). 大宮アルディージャの反逆. 出版芸術社. ISBN 978-4882933670
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “ヒストリー”. 大宮アルディージャ. 2017年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 川本 2009, p. 25.
- ^ “大宮アルディージャのプロフィール情報”. Jリーグ. 2017年2月17日閲覧。 http://www.jleague.jp/club/omiya/profile/
- ^ 川本 2009, p. 26.
- ^ a b c d 川本 2009, p. 27.
- ^ 川本 2009, p. 27-28.
- ^ a b c d “広報誌”. アルディージャ後援会会報誌 Movin'on Vo.3 2011 SUMMER. アルディージャ後援会. pp. 2-3 (2011年). 2017年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e スポーツニッポン・2017年5月14日付 26面 佐々木則夫『我が道』(13)「廃部決定し"幕引き係の"はずが」。
- ^ 川本 2009, p. 28-29.
- ^ 川本 2009, p. 23.
- ^ 川本 2009, p. 29-30.
- ^ 川本 2009, p. 30-31.
- ^ 1997年までは旧浦和市が本拠地であり、駒場競技場や鴻巣市立陸上競技場などと併用
- ^ NTTの持株会社による分割移行前はNTT本体が運営
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