旧JFL時代
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「NTT関東サッカー部」の記事における「旧JFL時代」の解説
Jリーグへ参加しなかったため、1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属(2部制だった1992年と1993年シーズンは2部に参加)。 1997年、佐々木則夫が監督に就任。同年7月のNTT東日本再編へ向けて、NTTは野球部をシンボルスポーツにすることを決めていて、社内の士気を高めるのは野球にして、サッカーはJリーグに任せておけばいいと、NTTは1998年末にサッカー部を廃部にすることを決めた。佐々木はそれまでに選手一人ひとりの意思を確認し、プロ入りを希望するものは移籍させ、それ以外の選手は社業に専念させるよう会社と調整していた。ところが監督就任直後に埼玉支店長に赴任した中村維夫が「サッカー部は廃部なのに頑張っているな。チームをプロ化にすれば母体になる」と、本社の役員を説得して一転、廃部決定がプロ化へ変わる。佐々木は普及強化部長として側面からチームを支えることとなり、佐々木の前の監督・清水はプロ化に向けた準備室に移った。 川越市からの誘いもあったが、1999年からのJリーグの2部制移行を前にして、大宮市では1997年1月に大宮市サッカー連盟の有志が「大宮にJリーグを呼ぼう会」を発足し、Jリーグクラブの招致に向けた署名活動を始めた。同年8月にはNTT関東サッカー部が大宮市を本拠地としてJリーグ参入を目指すことが決まり、同年12月の日本サッカー協会理事会にてJリーグ2部(Jリーグ ディビジョン2)参入が決まった。 NTT関東がプロ化する際、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)からはレッズとの競合回避のため川越市を本拠地にするように薦められたが、NTT関東は長年本拠地 にしてきた大宮公園サッカー場の使用にこだわり、1998年のプロ化と大宮アルディージャとして1999年のJリーグ ディビジョン2(J2)参入は大宮市(2001年にさいたま市へ合併)で行った事を、後に川淵三郎チェアマン(当時)がサッカー雑誌のインタビューで明かしている。[要出典] 1998年3月に新クラブ名が「大宮アルディージャ」に決まった。1998年12月に運営会社となる「NTTスポーツコミュニティー株式会社」が東日本電信電話(1999年7月以後)が中心となりNTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループ関連企業18社が出資して設立され、プロクラブ化し、1999年からJリーグ ディビジョン2(J2)へ参加した。 なお、旧JFLの各チームでは多かった社員選手は、チームのJリーグ参加と共に引退・移籍、あるいはプロ契約への切り替えなどで減少し、2009年引退の斉藤雅人が最後の社員選手となった。
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